神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル#02
昨日、最終プログラムが終了した。
「ダンス」とは?
「コンテンポラリー」とは?
を、問いながら、アジアが垣間見える、
素晴らしいプログラムの数々だった。
映像が使われていたり、セリフが多くあったり、
「これもダンスなの?」
と思われるようなプログラムを実施するということは、
つまりは、ダンスの裾野、
ダンスというものがカバーする領域を広げることにもつながる
試みであったと思う。
プログラムひとつひとつの作り手もさることながら、
そのようなプログラムを取りそろえて、
フェスティバルを実現させるプログラムマネージャー、
NPOダンスボックスの大きなチャレンジである。
そして何より、観客の存在。
新しい試みは価値の定まっていないものでもある。
それに対価を支払って鑑賞しようとする人が、
このフェスティバルを支え、世に送り出すことを叶えている。
作品ひとつひとつも、とても興味深いものであったし、
作品と観客とのであいが何と言ってもメインなのであるが、
作品のつくり手と主催者との関係、
フェスティバルと観客との関係、なども興味深かった。
神戸の下町の一角で、アジアのコンテンポラリーが
繰り広げられた9日間であった。
神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル#02
http://www.db-dancebox.org/07_arc/03_sp/12_kacdf02/index.html
昨日、最終プログラムが終了した。
「ダンス」とは?
「コンテンポラリー」とは?
を、問いながら、アジアが垣間見える、
素晴らしいプログラムの数々だった。
映像が使われていたり、セリフが多くあったり、
「これもダンスなの?」
と思われるようなプログラムを実施するということは、
つまりは、ダンスの裾野、
ダンスというものがカバーする領域を広げることにもつながる
試みであったと思う。
プログラムひとつひとつの作り手もさることながら、
そのようなプログラムを取りそろえて、
フェスティバルを実現させるプログラムマネージャー、
NPOダンスボックスの大きなチャレンジである。
そして何より、観客の存在。
新しい試みは価値の定まっていないものでもある。
それに対価を支払って鑑賞しようとする人が、
このフェスティバルを支え、世に送り出すことを叶えている。
作品ひとつひとつも、とても興味深いものであったし、
作品と観客とのであいが何と言ってもメインなのであるが、
作品のつくり手と主催者との関係、
フェスティバルと観客との関係、なども興味深かった。
神戸の下町の一角で、アジアのコンテンポラリーが
繰り広げられた9日間であった。
神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル#02
http://www.db-dancebox.org/07_arc/03_sp/12_kacdf02/index.html