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靖國神社社報3月号の表紙は1925(大正14)年の社頭写真

2021年03月02日 | 靖国神社日誌

靖國神社社報3月号第788号が配達されました。表紙は1925(大正14)年の社頭写真でしたので、靖国神社ツアーガイドの貴重な資料となります。日清戦争の時に清国からの鹵獲品として社頭に設置された「清国の獅子」には、立派な鉄柵があったことも判りました。現在は神社の境内図からも削除されて厄介者扱いです。

<文字起こし>

九段坂を登り、参道入口附近へ立つと右側に〝靖國神社〟の名を記した社号標が目に入る。高さは八m余、明治二十七年竣工である。当時の記録によれば、明治十二年に靖國神社へ改称されるも新社号が一般に浸透しておらず、この標柱の設置に至った。どことなく文字上部が詰まったような姿に見えるが、当時は更に一・八mほど高く、二行で「別格官幣」が記されていた。靖國神社が明治二年六月の創建より七十六年余を経た昭和二十一年二月、それまでの国家管理を離れ、宗教法人として歩み始めた。社格制度も廃止されたことから、社号標上部の「別格官幣」四文字は埋められ、後の切除工事により現在の姿となった。僅か四文字ではあるが、大きな意味を持つ。本年は当神社が宗教法人となり七十八年目。今後、宗教法人としての歴史の方が一年、また一年と長く刻まれ始める。終戦直後の神社側とGHQとの度重なる交渉の時期、神社を中心として上野公園の様に映画館や音楽堂博物館等を建設するといった一見奇抜に思える構想があった。神社側が存続を最優先と考え、如何に神社を守るか腐心していた様子が記録等から伝わる。しかもその後に続く神社運営も決して平坦ではなく、識者の意見を得ながら、神社側も自ら進取の姿勢を以て新たな取り組みを模索してきた。既にお知らせの通り、本年正月より本格稼働したオンラインによるご祈願や頒布も新たな取り組みとして実施させていただいている。直接ご参拝いただける事が何よりではあるが、全国のご遺族が遠方で上京が難しい、また体調その他の事情で神社まで直接お越しになれない、そのような時に現代社会より求められる対応の一つとしての事である。少しでも神社を身近に感じていただける手段として、ご活用いただければ幸いである。

(了)

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