葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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昭和20年の記憶一空襲そして敗戦一「世田谷・九条の会」ニュース№65

2022年05月28日 | 歴史探訪<世田谷区内の戦跡>

世田谷・九条の会」ニュース№65に掲載されていた投稿記事は、貴重な空襲体験なので「文字お越し」をして転載します。

画像は、5・3憲法大集会に参加した「世田谷・九条の会」の方々です。

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          昭和20年の記憶一空襲そして敗戦一
                                                              土屋光男
  70数年前のことだが、3月10日の東京下町へのアメリカ空軍による大空襲を、世田谷の代沢の高台から見ていた。都心方面の夜空は、オレンジ色一色ですさまじい光景であった。 まさに戦争の真っ只中にいた。
「向島にいる兄貴はダメだろう」と隣の男性が深くつぶやいた。
  それから二日して、当時中学三年生(旧制の五年制の中学校)であった私は勤労動員で働かされていた大崎駅前の高砂鉄工<現高砂熱学>の亀戸本工場が全焼したということで、その焼跡の始末に動員された。
  3月13日と思うが、秋葉原駅前に集合させられた中学生数十名は、総武線が不通のため千葉方面へ向かう大通りを歩き、隅田川にかかる両国橋を渡った。その一帯は全くの焼野原で大通りには焼死体がゴロゴロしていた。
  運河には溺死体が折り重なって浮いており、マネキン人形が黒焦げになったような無残な光景の中、私たちは黙々と歩くだけであった。
  工場の焼跡にはすでに数人の男たちがいた。手に手に出刃包丁をもっていて、焼跡に転がっている馬の死体から肉を無造作に切り取っていた。男たちの話し言葉は日本語でなく 朝鮮語のように思えた。ここでまた「戦争」のすさまじさの現実を私は見せつけられた。
  晴天だったその日、空には雲ひとつなく、また、見渡す限り亀戸一帯は焼野原で、わずかに残る鉄筋ビルの残骸以外は何も無かった。身を隠す物が皆無のここに、米軍機が来たら、私たちは恰好の標的となり撃たれるだろうと思った。東京の街は戦場になっていた。
  父はその当時、鉄道省の新橋運輸部勤務であったため、緊急の出動にそなえて、単身で役所指定の宿舍に入るよう命令が出て、家族は疎開することになった。
  三月末、母と私は、母の実家のある広島県福山市へ行くことになった。二人の兄は兵役につき中国大陸にいた。四月になるとB29の空襲は東京や大阪などの大都市から地方の中小都市へとかわっていった。姫路・岡山などが空襲され、次は福山、倉敷がやられるのではと言われ、東京から運んだ家財道具の大部分を福山近郊の農家の離れにそのまま運んだ。
  その頃のある夜、B29は福山上空に大量のビラをまいた。それはきわめて上質の紙に印刷されていた。日米の貧富の差を痛感させられた。
  「近く下記の都市を爆撃するから、市民の皆様は疎開するように」というものだった。
  それから一週間ほどして、B29約五十機による焼夷弾攻撃があり、私たちが住んでいた祖父の家作は焼かれた。畑に囲まれた祖父の家は運よく延焼をまぬがれた。福山市の八十%が焼かれ、駅のすぐ北にあった五層の福山城も姿を消した。天守閣は火をふき、壮絶に焼け落ちた。
  その一週間後に戦争は終わった。
  敗戦の四日後の19日に、母と東京に向かった。銀座にある鉄道省の寮にいる父に会うためであった。山陽本線は運行していた。私たちが乗ったのは、客はまばらですいていたが、家畜の異臭がする貨物列車であった。急行列車なみの停車駅だったようだが、放送もないのでわからない。ただ大阪行きということだけがわかっていた。
  トンネルにはまいった。貨車には窓がないので、煙をさえぎようがなかった。乗客には復員兵と疎開帰りらしい人が多かった。みんな敗戦国の人間だとしみじみ感じながら乗っていた。
  今思えば、戦争はこりごりだ。二度と繰り返したくない。それが九十数年生きた私の切なる願いだ。戦争のない平和こそが、今を生きる人間としての絶対の願いである。(代沢在住)

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(了)

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