葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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戦跡を歩く:07年夏/10 旧陸軍参謀本部、大本営跡地 

2007年08月30日 | 歴史探訪<東京裁判・市ヶ谷台・防衛省>

毎日新聞(東京版)に連載されていました「戦跡を歩く」は今日が最終回となりました。

戦跡を歩く:07年夏/10回 旧陸軍参謀本部、大本営跡地

文中で大本営についてコメントしている女性は管理人が吉永磨美記者にご紹介した地元の市谷薬王寺町在住の方です。

「残るのは戦跡だけでいい。悲しい歴史はよみがえらないように」と締めくくった吉永記者の素晴らしい記事でした。

記事と写真にある防衛省防衛研究所図書館が所蔵する「旧陸軍参謀本部文書」(市ヶ谷台史料)を公開するに当たって戦史部長のコメントをご紹介します。

      「市ヶ谷台史料」について

一、昭和二十年八月十四日日本政府は閣議でポツダム宣言受諾を決定するとともに重要機密文書の焼却を決定した。これに伴い陸軍は各部隊・官衛・学校などに機密文書の焼却を指令した。陸軍省、参謀本部など陸軍中枢機関の所在した市ヶ谷台では数日にわたり秘密文書が焼却された。
二、平成八年四月末、自衛隊市ヶ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、焼却された筈の旧陸軍文書が焼け残った状態で大量に発見された。
三、発掘された史料は、大半が焼損し、約五十年間にわたり湿気を帯びた状態で土中に埋没されていたため、劣化が著しく頁を開くことも出来ない状態であった。戦史部は文化庁国立文化財研究所の助言と修復事業者の意見を参考として修復可能でしかも史料価値の高いものを選別し、青梅市の「東京修復保存センター」で修復作業を開始した。
四、発掘された史料は、主として参謀本部第三課(編成・動員課)が保管していた文書で編成・動員などに関する御裁可書、編成表、電報綴等である。
 これらの史料は、日本陸軍の戦争指導、作戦指揮に関する史料として当防衛研究所戦史部に欠落している部分を補完する史料であり、また『戦史叢書』のなかで関係者の記憶をもとに記述された部分を裏付ける史料として重要な意義をもつものである。

      平成九年十二月十五日

              防衛研究所戦史部長 辻川健二

 


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