実は日本の空域が確保できてから 東京大空襲なども含めて日本の軍需産業の拠点を
空爆した。ところで、こんな話を聞けばアメリカには余裕があった事を思い知る。
それは 京都や鎌倉など歴史的建造物が在るところは空爆を避けていたとのことである。
だから「そうだ京都に行こう」なんていう事ができるのである。
さらに アメリカは戦争の記録をカラーで撮影している。日本では対外向けの宣伝雑誌
「フロント」等にはカラーを使っていたのは知っている。この雑誌のレベルはかなり高度で
例えば編隊を組んでいる飛行機の写真は、よく見ればわかるが、5期ぐらいは実写しているが
大編隊に見せるために実写したものを切り貼りして、遠近法をもちいたりして、エアーブラシで
作り上げたものだ。爆撃機の量産工場はこれもいわばでっち上げだが、日本が敗戦した際に
アメリカはその工場の所在を問いただしたという話がある位だ。
日本の意図としてはグローバルだということを言いたいようで、雑誌には外人(多分インド)が
登場するのだが、これが現存するフロントには、衣装を変えたりして同一人物が何度も登場する。
残っていないのは、確か敗戦時に処分されたからだったと記憶している。
ただ日本にも高度なテクニックをもった人がいたのである。ちなみにカラーフィルムはサクラ
(現コニカ)だ