モノクロのプリントアーティストでもあったのである。
モノクロプリントは、30年前位には普通に証明写真として使われていたので、毎日夜のどこかで
処理しなければならない。モノクロだけでも繁忙期(受験の頃と合格の頃とリクルートの頃)には
暗室に2時間ぐらいこもって証明写真を各サイズに合わせてプリンするのでおおむね5~100枚を
プリントしていた。一応は35mmの36EXを吊り現できるタング(現像と定着)プリンターとニコンと
フジノンのプリンター用レンズ、後はお決まりのプリントの現像、停止、定着等があり、
証明写真以外にはService版のプリントや大伸ばしもしていた。
これとは別に、ノートリミング用のプリント、作家の作品用や印刷用の手焼きをしていて、
これには、バライタ紙という昔からある上質の紙をプリントに使ったのだが、一枚一枚覆い焼きや
焼きこみ等を行うので大変だった。
かまくら春秋社?だったか、フリーのカメラマンが現像とプリントを頼んできたので、
丁寧にプリントして渡した。おもに料理の写真と店の外観が多かったと記憶しているが
こういうのを50枚以上手焼きでプリントするのには時間がかかるのだ。
渡しの場合は、いわゆる暗室用の焼きこみ覆い焼き棒なんか使わないで自分の手の指で
加減していた。あの時代でもバライタ紙は殆ど流通していなかったが、
写真の先駆者達が使ったであろうそのプリントの紙によって、モノクロでもきれいな階調が
表現できた。
ちなみにその頃にプリントした大切なものが、当然ながら色落ち色あせは一切ないのだ。
とう言う訳で、段々と寝る時間がすくなっていった。
ただ、全てが新鮮に感じていたので、ある
つづく