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常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

あほか報道

2011年12月31日 19時53分21秒 | マスコミ マスメディア を考える
千葉で女性を人質にしたバスジャック事件があったとき犯人の要求は報道機関との接触で、捜査機関が現場に取材に来ていた報道関係者達にプレスの腕章を貸して欲しいと要請したにもかかわらず、応じたのは1社だけだったそうだ。
人質がいるので万が一の事があったら、と千葉日報の記者が応じたこともあって、無事解決を見たのだが、たまたまそういう結果になったから良かった物の、記者の腕章が人命より尊いとしか私は受け取らない。 客観報道、報道の独自性、中立性とかいっているが、もしそのことが原因で犯人が人質に気害を加えたらそれをそのまま報道するのだろう。もしその場合に、果たして「捜査機関から記者の腕章を貸して欲しいと言われたが断ったところ・・犯人が」等とは絶対に言わないだろうしか書かないと断言する。そうした場合中立性だの、公平性はどこにいくのか?
マスコミ関係者に多いへんな特権意識、そして腕章ごときを人の命の救出のために差し出せないのは、人道的見地からあってはならないことだと思う。
ついでに言えば、警察関係者もただPRESSと書いた腕章を作っておいたらどでしょう。
ところである新聞にこの事件を検証していたが、腕章を借りた捜査員は無言で、また突入には加わらなかったから、と書いてあった。どこまでも、お馬鹿な!多分この論法で言えば、例えば取材中に事件に遭遇してもマスコミは助けないということだ。今年震災の直後の映像と共に実況しているレポターの言葉は忘れられない。「屋根の上で助けを求め手を振っている人がいます」へりは救出せずそのまま置き去りにし、救助要請もせずにレポートを続けるために飛び去ったのである。今でも時折その人がどうなったのか気になることがある。人命軽視の行動を繰り返しているマスコミ関係者が人命の重さを説く前に自分たちの行動を反省すべきである。

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