わが子の入学式にでる為に勤務先の入学式を欠席した教諭。
個人的には、それは駄目じゃん。と思ったが、その教諭に対する世間の評価は賛否両論だそうだ。
これって時代のなせる業なのかなぁ~なんて思うが、だからこそ正論や常識は非常に危ういのだと思った。
この問題を仕事と育児と置き換えたとしたら、確かに育児休暇という場面もあるかと思う。だから、この教諭の行動に
理解を示すのかもしれない。ただ、教諭は聖職者である。そして、人生に一度の入学式は自分の子供もそうだが、
勤務するところでも同じく一度だけである。
その事を考えたのかどうかはなはだ疑問である。同世代の人間として私はこの教諭の行動にはかなり批判的だ。
全国津々浦々で同じ事が許されてしまう悪しき前例を作ったのではないか?そう思わざるを得ない。
詳細はわからないのだが、例えば息子の入学式にでた足で勤務先の入学式に出ることはできなかったのか?
そもそも、教諭である以上日にちが重なる場合はこれまでも沢山あったに違いないが、今回ニュースになったと言う事は
前例がないことをしでかしたからである。
教師というのは、教育者である訳だから教えるだけではなく、道徳などの社会通念を育てていかなければならない仕事
だと思うので、果たしてこんな教諭が担任を持つこと持たせることに教育の現場では判断をしていないに違いない。
共働き、自営業、医者、職業も多々ある訳で、じゃぁ医者が今日は子供の入学式だから診察を休むといえるだろうか?
同じく子供の晴れの舞台に出席したくても、仕事の都合ででられない人はゴマンといるはずだ。
子供も寂しいし、親もいってあげたいという気持ちを当然もっているが、仕事を優先しなければならないというのが
最も一般的な考え方だと私は思うし、私は小学校の頃から親がなんらかの行事にきたことがなかった。
でも子供なりにそれは仕方がないことだと思うようにしていた。
教育委員会は本来なら問題の教師にたいして、注意喚起をしなければ、これから毎年のように教師が勤務先の行事を
平気で休むようになるだろうし、それを認めてしまったら学校=教師=生徒の関係が崩壊するに違いない。
災害の際のボランティアなどには積極的に動く人が増えている反面、これは他人の子より自分の子、他人がどうなろうと
自分の利益を最優先に追求するという発想法だと思う。それが残念だ。