若造の癖に という陰口も聞いたけれど、まぁあの殺人的な忙しさが
続けていたとは思えないが、どのみち20代で「先生」呼ばわりされていたし
(良し悪しは別にして)30代中頃には、写真展も何度かしたし、
ラボや出版もしたし 朝日カメラとかいわゆる編集長にも新進気鋭の作家で
と認めてもらっていたので、今写真を続けていたら、多分新人賞だとか
なんとか賞 をもらいかつ 写真家としての王道を歩いていたかもしれない
そうしたら、是非とも企画したかったのが、通勤風景、電車の中、ありとあらゆる
日常を人間本来の姿で撮影したかったです。
意味合いは違うけれどあの篠山紀信も書類送検された位だから、実現できたか
何よりも発表できたか?という疑問は残るけれど、モデルがまずは大変であること
や 電車を夜間借りきって行わなければ無理、など諸条件のどれをとっても
とても難しいのだった。
私は 人間がその昔自然のままで生きていたのに、木の葉で局所を書くした時に
初めてわいせつという概念が起きたとk考えている。
そういう、固定概念を打破して 行く事ができれば多分死んでから100年ぐらい
たっって から評価されるのではないかという夢と希望がありました