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常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

1年にわたる長期ロケの記録  --ある寺の撮影ーその弐

2017年05月15日 21時14分21秒 | マイブック用に

撮影中に話しかけられるのは プロとしては失格(隙がある証拠で)と

書いていたし、後にも先にもこの時が初めてであり最後でもあった。

鎌倉は素人カメラマンがたくさんいた訳だし、撮影に使用していた機材も

素人でも充分にあり得るもの。なのでどうして確信をもって声をかけてきたのか

徳を積むと人の心が読めるのかな?としか考えようがなかった。

それはさておき導かれるままに社務所のようなところで、話を聞いたところ

このお寺ができて何百年の節目に当たり寺として全部の記録を撮り置きたいと

考えていてしかも四季それぞれを収めたいとの事だった。

「でも、鎌倉なら専門に写しているプロがいるんじゃないんですか?」

率直な疑問を聞いてみたところ、「そういう人は存じ上げておりますし

数人とお会いした。しかし・・・ご縁のある方はいなかったともうしあげて

おきます」「でも私が なぜ・・あ、わたくし嶌田といいます。」と

名刺をだした。「私にお声をかけていただいたのですか・・。」

「ご縁というもの・・・と私は感じましたが、お断りされても構いませんし

今お返事をという事でもございませんので、時間は当然ですがお待ちします」

実は このお寺は時たま寄っていて好きな場所でもあった。

「やるからには、いや撮影するからには四季もそうですが夜とかも写したい」

「もちろん お願いするからには 全面的に協力致します」

私には次の撮影がありそれ以上は話せなかったが、返事は持ち帰りで良いと

いわれたので、予定を確認して連絡いたしますと言った。

「まだ、不思議に思われているようですね。私とて修行の身ですから」

といって防犯カメラの一つを弟子の弟子みたいな人に巻き戻させて

私が500円を置いて手を合わせてから入場したところが記録に残っていた。

「私がこれを見ていたということにしましょう。寺というのは本来は

時間を区切るべきではない仏を求めるのに時間はないと考えております

しかし 誰もいないところでは残念ながらあなたのような行動を取られる

人はこのご時世殆どおりません」と言われて納得してしまった。

そして 後日改めてもっと詳しい話を聞くことにして帰ってきたのだった。


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