赤城山ファン(旧)

ぶらり散策
赤城山の山頂・湖畔・裾野エリア・わ鐵沿線・上電沿線
(散策備忘録&アルバム)

八幡神社(2)

2017-06-26 |  ⑩粕川
<膳の八幡さま>
鎌倉時代、膳城の守り神として、鶴岡八幡宮から勧請されたと、言い伝えられております。祭神は、誉田別尊(応神天皇)で、勝利と成功の神さまです。現在の本殿は、棟札から、延享年間(1744~、徳川吉宗の頃)に建てられたことがわかります。
・・・とある。
  

  
(右)
山百合の歌碑(須藤泰一郎)
ところ蔓からめるままにつかみさしぬ
今朝もらひたる山百合の花

メモ:神社・社

2017-06-26 | 11.群馬県内の赤城神社
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 神社と社は一般的な神社の社号です。
 まとめ
・ 神宮、大社、神社は社号。
・ 神宮は天皇や皇室の祖先神、大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社。
・ 大社は全国に多数ある同名の神社の宗社で、旧社格が官幣大社・国幣大社である神社。
・ 宮は皇室にまつわる人物を祀る神社(例外あり)。
・ 神社、社は一般的な神社。

・・・とある。

メモ:宮

2017-06-26 | 11.群馬県内の赤城神社
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 宮は、基本的には皇室にまつわる人物を祀る神社ですが、東照宮(徳川家康を祀る)、天満宮(菅原道真)のような例外もあります。

 天満宮などは、神社が国家管理されていた時代には、「天満宮」と称していた神社も「菅原神社」・「天神社」・「天満神社」などと改称させられていました。

 「宮」は東照宮、天満宮の他には、八幡宮、水天宮、鎌倉宮などがあります。

・・・とある。

メモ:大社

2017-06-26 | 11.群馬県内の赤城神社
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大社
 明治維新以前、大社を名乗る神社は出雲大社と熊野大社のみで、明治時代に神社が国の管理下に置かれてから第二次大戦の終戦までは出雲大社のみ。そのため、かつて大社と言えば出雲大社の事でした。

 戦後、全国に多数ある同名の神社の中で宗社(系列神社の本家、とでも言いましょうか)にあたり、国が神社を管理していた時代の社格が官幣大社・国幣大社である神社が大社を名乗るようになりました。現在大社を名乗るのは、24社です。

・・・とある。

メモ:神宮

2017-06-26 | 11.群馬県内の赤城神社
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 皇室の祖先神や天皇を祀る神社や、大和平定に功績のある特定の神を祭神とする神社につけられる社号が「神宮」です。

 その代表は天照大神を祀る伊勢神宮。明治維新以前は、神宮の社号をもつのは伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3つだけで、単に神宮と言えば伊勢神宮のことでした。

 現在神宮の社号をもつのは24社です。

・・・とある。

メモ:社号

2017-06-26 | 11.群馬県内の赤城神社
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社号
 神宮や大社、神社を社号と言います。社号には神宮、宮、大社、社、神社などがあります。

 元々社号に特別な基準はありませんでしたが、明治維新以降、神社が国家の管理下に入ると、公認されたもののみが「神社」を名乗り、大社や神宮などを名乗るには勅許などが必要になりました。

 しかし、第二次大戦後の政教分離によって国家の管理を離れ、現在では許可がなくても、大社、神宮を名乗れるようになっています。

・・・とある。