★旧赤城山鋼索鉄道赤城山頂駅駅舎及びプラットホーム
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<桐生市hp>
東武鉄道は、昭和32年(1957)に赤城山観光の充実のため、赤城山鋼索鉄道を開通させ、首都圏と赤城山を結ぶ交通網を完成させた。これにより、赤城山への観光客は大幅に増大し赤城大沼を中心とした一帯は大変な賑わいをみせた。しかしその後のモータリゼーションの普及にともなう、前橋・赤城山頂間の道路改良の進展により赤城山鋼索鉄道の利用者は急激に減少し、開業から僅か10年余りの昭和43年(1968)に、幕を閉じることとなった。
旧赤城山頂駅は、昭和58年(1983)に個人が借り受けレストランとして開業し、その後駅舎の買い取りをして増改築を行いながら事業を営んできた。平成14年(2002)には、個人所有から有限会社大沼山荘に経営を移し現在に至っている。
駅舎部分は鉄筋コンクリート造2階、地下1階である。待合室と事務所部分の間仕切と天井を撤去し屋根の下地が現しになっている。天井高は約6メートルあり、天窓を設け明るい大空間の食事場所となっている。展示スペースは、旧事務室の壁と旧宿直室で、間仕切と仕上げが撤去され、旧赤城山鋼索鉄道関係の解説や資料が展示されている。地下は動力室であったが現在は倉庫となっている。
プラットホームは、鉄筋コンクリート造で地形に合わせているため急勾配の階段となっている。
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東武鉄道は、昭和32年(1957)に赤城山観光の充実のため、赤城山鋼索鉄道を開通させ、首都圏と赤城山を結ぶ交通網を完成させた。これにより、赤城山への観光客は大幅に増大し赤城大沼を中心とした一帯は大変な賑わいをみせた。しかしその後のモータリゼーションの普及にともなう、前橋・赤城山頂間の道路改良の進展により赤城山鋼索鉄道の利用者は急激に減少し、開業から僅か10年余りの昭和43年(1968)に、幕を閉じることとなった。
旧赤城山頂駅は、昭和58年(1983)に個人が借り受けレストランとして開業し、その後駅舎の買い取りをして増改築を行いながら事業を営んできた。平成14年(2002)には、個人所有から有限会社大沼山荘に経営を移し現在に至っている。
駅舎部分は鉄筋コンクリート造2階、地下1階である。待合室と事務所部分の間仕切と天井を撤去し屋根の下地が現しになっている。天井高は約6メートルあり、天窓を設け明るい大空間の食事場所となっている。展示スペースは、旧事務室の壁と旧宿直室で、間仕切と仕上げが撤去され、旧赤城山鋼索鉄道関係の解説や資料が展示されている。地下は動力室であったが現在は倉庫となっている。
プラットホームは、鉄筋コンクリート造で地形に合わせているため急勾配の階段となっている。