一人シニアの漫遊記

国内外のトレッキング紀行と家庭菜園、ダンス等徒然なるままに

山紀行(マチュピチュ インカトレール 2006.8)

2012-04-11 18:14:44 | 山紀行(海外、南米)

少し古くなりますが2006828日から95日、ペルーのマチュピチュへインカトレールを歩いて行ってきました。 1985年当時、JICA専門家でチリ サンチアゴ在住の際に、家族ともどもマチュピチュ旅行を計画しましたが、当時はセンデロルミノソによる治安が悪く断念した経緯があり、また、アメリカのシェラネバダへトレッキングに行った際にアメリカ人同行者から薦められ何時かはと思い描いていたコースです。 今回は、スペイン語に慣れていることからクスコにある現地旅行代理店に直接、予約しましたので、パーティは全てアメリカ、オーストラリア等の方々でした。

今回は、アトランタ経由でペルーの首都リマへ入りここで1泊。 翌日の29日にリマからクスコへ移動しました。 クスコはインカ帝国の首都だった街で海抜3360mあり、海抜ほぼゼロのリマから飛行機で一機に到着することから、息苦し状態で苦しみます。 宿にはコカ茶が常に用意されており、随時これを飲み高山病を予防します。 このクスコで高度順応のため1日、滞在しました。

 

トレール1日目:30日はクスコからバスでウルバンバ河沿いに上がりインカトレールの出発地となるPiskacucho(標高2600m)に到着。 ここからいよいよトレール開始です。 この日は、Wayllabamba(標高3000m)でテント泊。 

トレール2日目:91日は、このトレールの最大の難所である標高4200mWarmihua WanuscaPass(Dead Women's Pass)。女性はこの峠で死んでしまうと言い伝えられている難所です。やはり、高度順応が上手くいかなかったのか、途中で足が出なくなり家内が先行する状況になりました。この峠を越えPacaymayo(標高3600m)でテント泊。 

トレール3日目:2日はRunkurakay Pass(標高3970m)へ登り返します。 見通しの良いところで、これからまた登るのかと思うとぞっとしました。 その後は、RunkuracayWinayhuaynaの遺跡群や数多くの種類の蘭を楽しみ、また、Inca Tunnelも通過してPhuyupatamarca Pass(標高3700m)でテント泊。 

トレール4日目:93日は、いよいよマチュピチュです。 朝4時半に起床し、ヘッドランプを頼りにトレールを進みます。 ついに、月の門に到着。 早朝のことで、まだマチュピチュは朝靄にけむっていました。 その後、日の出とともにマチュピチュが全貌を表し、十分に遺跡群を堪能しました。 その後、マチュピチュ(年老いた峰の意味)の後方にそびえるワイナピチュ(若い峰の意味)へ標高差400mに登りました。 コントロールがあり、人数制限しているようです。 私たちを除いたパーティメンバへそそくさと麓のアグアスカリエンテス(温泉の意味)へ降りていきました。 ワイナピチュへの登りは急傾斜で下りには十分注意する必要があります。 頂上から見たマチュピチュはちょうど、コンドルの姿を模したものでした。 

Image158 インカ帝国の首都クスコのカテドラル(インカ時代のピラコチャ神殿の上に建てられた。 このように、インカ建造物の上に教会を建ててしまうことが多く、メキシコシティでも同様でした。
Image145いよいよインカトレール出発
Image130Dead Women's Passに向けて喘ぎながらのつらい登り
 

Image117 Dead Women's Pass4200m)にようよう到着 

 インカトレールは蘭で有名です。
きちんと石畳が敷き詰められたトレール
Image073Inca Tunnel(2000年前にこのようなトンネルを掘ったんですね。

 

Image058 月の門で一休み、いよいよマチュピチュです。
Image004 素晴らしいマチュピチュの全貌
Image035 La Tumba Real(陸墓と呼ばれミイラがあったとか)
Image023 Intiuatana(日時計)
Image032 精巧な石組み
 Crupo del Condor(コンドルの神殿と牢獄) 

Image020 ワイナピチュ(若い峰 マチュピチュから標高差400mの急坂を登る)
Image017ワイナピチュからみたマチュピチュ(コンドルの姿をしています)。 でも足を滑らせたら、、、、、
Image003 今一度、マチュピチュ

 



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