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歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

藤原広嗣の大村神社、鏡神社を訪ねました

2010年11月04日 | 歴史

今回は藤原広嗣を祀っている大村神社、鏡神社へ行きました。場所ですが大村神社は浜玉町に、鏡神社は唐津の鏡山の近くにあります。

大村神社
  祭神 : 藤原広嗣

鏡神社
  祭神 : 息長足姫命(神功皇后)、藤原広嗣

737年、藤原四兄弟が天然痘の流行によって相次いで死去した結果、藤原氏の勢力は大きく後退した。これに変わって勢力を得たのが橘諸兄であり吉備真備、玄であった。
740年、太宰府少弐であった藤原広嗣が時の政治の乱れと天変地異を憂い、吉備真備、玄を追い落とさんとして九州で兵1万騎を集め決起します。
聖武天皇は約2万の兵を九州へ送ります。板櫃河の戦いで広嗣軍は兵の離反もあり敗れて敗走。広嗣は船に乗って五島列島から新羅へ逃走を図るが失敗、値嘉嶋に隠れるが値賀島で捕らえられ、浜玉町五反田の大村の地で斬首されました。
広嗣処刑の後、天変地異が続き、玄も筑紫に左遷され、そこで歿したこともあって、それらは広嗣の怨念のためとされました。その後、肥前守を任ぜられた吉備真備がこの地五反田にきて藤原広嗣の霊を弔うために建立したものです。


■大村神社の由緒がかかれています。祭神は藤原広嗣だけですね。後年、無怨寺となっていて住職である郎瞬が極楽往生を祈願した時期があるようです。


■大村神社の正面です。広い神社です。当時の怨念に対する恐怖の程が大きかったことが想像されます。


■拝殿です。


■神殿です。藤原広嗣が祀られています。


■境内です。左に大きな背丈の木があります。境内は広く、木々が境内のあちこちに植えられていて、よく手入れされている感じがしました。

つぎは、鏡神社へ行ってみます。
鏡神社の社伝によると、三韓征伐の際、神功皇后が鏡山山頂に戦勝を祈願して鏡を納めたが、その後この鏡が霊光を発したことから、それを聞いた神功皇后が自らの生霊を鏡に込めて祀ったのに始まると伝えています。
また、三韓征伐の帰途、神功皇后は当地で陣痛に襲われたが、里人が差し出した湧き水を飲むと陣痛が治まり宇美で無事に応神天皇を産んだという伝説から安産の霊験もあるそうです。


■鏡神社の案内図です。1万5000坪の敷地がある神社です。皇族のお手植えの木などもあり由緒ある有名な神社なようです。


■鏡神社の由緒が書かれています。一ノ宮に息長足姫命(神功皇后)、二ノ宮に藤原広嗣を祀っています。


■狛犬ですが、前足の間に子供がいます。子供を育てる狛犬です。お子様がいらっしゃる方には無事に育つようにと、ご利益があるそうです。子育て狛犬というそうです。


■安産・長寿の霊水です。神功皇后が当地で陣痛に襲われた際に里人が差し出した湧き水を飲んだら陣痛が治まったというお水です。


■安産・長寿の霊水の案内が書かれています。


■一の宮です。神功皇后を祀っています。


■一宮の近くで撮りました。


■二の宮です。藤原広嗣を祀っています。


■『源氏物語』玉鬘巻で肥後の豪族大夫監が玉鬘に宛てた歌に「松浦なる鏡の神」と詠まれた記念碑です。


■石碑に書かれている歌です。

今回は、藤原広嗣の関係のある神社を巡ってみました。当時は怨念、呪詛などが広く信じられていた時代でもあり、呪詛されているという噂を聞いただけで悶絶してしまうこともあったともいわれていますね。まして怨念ともなれば相当な恐怖だったのでしょう。



■おまけ。近くの果樹畑で。実がたくさん実っていますね。おいしい果物たくさん作ってくださいね...と思ってます。


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