歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

千栗八幡宮へ行きました

2010年10月30日 | 歴史

千栗八幡宮は、『ちりくはちまんぐう』と読みます。佐賀県のみやき町にあり肥前国一宮で、旧社格は国幣小社です。創建は724年といわれてます。以前、與止日女神社に行った際に、肥前一の宮争いの話で千栗八幡宮を知りまして、ぜひ行きたいと思っておりました。與止日女神社につきましては、以前、記事『与止日女神社と嘉瀬川伝説』を書いてます。見ていただけた、らうれしいです。

  祭神:應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
  合祀:難波皇子 宇治皇子 住吉明神 武内宿禰


■現在地が『千栗八幡宮』です。ゴルフ場の近くです。


■神社の由緒が書いてあります。

「千栗」と書いて「ちりく」と読みます。それには言い伝えがあります。
当時の肥前国養父郡司、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。
その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ます。
翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜にうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして「ちりく」というようになったそうです。

999年、八幡大菩薩千栗宮から油が湧出し朝廷に献上された。承平年間(931年 - 938年)に宇佐八幡宮の別宮となったとみられ、以後その五所別宮の一として崇敬を受けたようです。
南北朝時代には当宮の西に千栗城が築かれ、戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ幾度か社殿も焼失したが、領主龍造寺氏や鍋島氏により社殿の再興、社領の寄進が行われた。


■神社の入り口にある一の鳥居です。一の鳥居は、町指定文化財で慶長14年(1609年)に鍋島藩祖である鍋島直茂が奉納した石造肥前鳥居です。
後に見える急な石の階段にはエピソードがあります。


■一の鳥居の案内板です


■1992年のバルセロナオリンピックの柔道金メダリストである古賀稔彦選手は、この神社の145段ある石段を足腰の強化のために上り下りしていました。
私もここを上って参拝しました。もちろん帰りもこの石段を下りましたよ。足腰が鍛えられそうな気がしました。


■階段の横に、古賀選手のことが書いてありました。


■はあ、階段を上りきり着きました。拝殿前の二の鳥居です。


■鳥居をくぐりぬけ拝殿に向かって歩きます。


■神様にお願いをしようかな。お願い事は内緒ですよ。かないますようーに。


■お粥堂です。石の囲いの中は石の台があります。


■お粥堂の説明板を拡大しました。
例年3月15日に粥祭があるようです。「おかゆさん」ともいって、粥を使ってその年の豊作・凶作を占う粥占でです。
2月16日、社前の祓川の水で粥をたき、筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す4つの鉢に分けて神殿に納めます。3月15日に取り出し、黴の出方を見て、五色の黴の生えた方角がその年豊作になる地方なのだそうです。


■この神社には展望台??があって町内がよく見えます。正面を撮影してみました。


■おまけ。馬の石造です。馬が奉納されている意味は不明ですが。

この神社は境内も広く、気持ちのいい感じになる神社でした。石段はちょっときつかったけど。でも、みなさん、安心してください。神社の裏手に駐車場がありました。車で神社のすぐ裏までこれたのね。...でした。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
 

ランキングに参加しております。よろしくお願いします。


最新の画像もっと見る