那珂川町に安徳天皇のお宮があることを知り探しに行きました。
事前に場所を確認しようと地図やネットで調べました。
安徳という地名は地図に載っていますが、お宮は載っていません。
ネットで調べても場所がよくわからず、地図から、だいたいの見当つけて行ったのですが、最初の日は見つけられず帰ってきました。
改めて別の日に出直して探しに行き、やっと見つけました。
場所は那珂川町役場の近くに安徳館というところから細い道に入っていくのですが
お宮の場所は案内板もないのでわかりにくいです。
安徳地区の方々に大切にされているお宮ですので、付近に住んでる方に場所を聞くと親切におしえてくれます。
途中で野生のサルと遭遇し、お互いにジッと見ながら私はお宮を探しに。
お宮を探し当て、お参りしてから帰りもそこを通ったのですが、もう、サルはいませんでした。
安徳天皇(あんとくてんのう)は、第81代の天皇として即位します。
その年、平清盛が福原へ遷都、福原行幸となります。
しかし、すぐ京都に還幸しますが、源義仲が京都に入り、都落ち。
安徳天皇は九州の大宰府に逃れます。後、屋島へ移るが屋島の戦いにも敗れ、海へと逃れるも壇ノ浦の戦いで一門は滅亡、二位尼と共に安徳天皇は入水する。
安徳天皇を祀る神社は、山口県下関にある赤間神宮で陵墓もあります。
また、安徳天皇は壇ノ浦で入水せず落ち延びたとする伝説も各地にあるようです。
しかし、ここ那珂川町の安徳伝説は落人伝説としてではなく帝が滞在したという伝説が残されています。
九州の大宰府に逃れた際に、現地の武将原田種直が安徳帝を迎え、短期間ではありましたが、帝の仮の行在所とした場所です。
平家物語にも大宰府政庁が戦火で焼かれてしまったので原田種直邸を帝の仮の行在所としたとあるそうです。
これがお宮です。新築したようです。右の石碑は下の写真です。
平成10年に新築したようです。
お宮の写真です。(上の写真がちょっと暗いのでもう1枚撮りました)
お宮の上のほうには、菊の御紋があります。
安徳天皇をお迎えした豪族の原田氏について調べました。
原田種直は官職が大宰権少弐(だざいのしょうに)で、大宰府の次官。
妻は内大臣平重盛の養女で平氏とは縁が深い。
壇ノ浦合戦後、領地は没収され鎌倉へ送られ虜囚の身となる。後、赦免され御家人として復活した。
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