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愛なる日常

大阪府枚方市に住んでいます。
地球でのお仕事は、茶道教授&ピアノ講師。
目に見えない世界のお話が好きです。天秤座。

夏越しの祓

2016年06月19日 | ひとり言



「水無月の夏越の祓する人は
千歳の命 延ぶというなり」


今年も
早半年が過ぎようとしています


上半期
無事に過ごせたことに感謝し

「水無月の・・・」の和歌を唱えながら
茅の輪くぐりをし

この半年の間に
知らず知らずのうちに身に付いた穢れを払いました


今年下半期の過ごし方を
御神籤を引いて
神様におたずねしてみました


「前進の時である」

「誠意をもって勇敢に努力」


はい!
わかりました


ありがとうございます


がんばります!!meromero2






生命大躍進展

2016年05月22日 | ひとり言



大阪市自然史博物館で開かれている
生命大躍進展
行ってきました




約40億年前に
地球に最初に現れた『生命』から

現在の私達に至るまでの
生命進化の歴史をたどる
膨大な展示会です




5億年以上前に生きていた
奇妙な動物群の化石を始めとする
国内外の貴重な化石標本に加え

過去の生物たちの
精巧な復元模型や
リアルな4K映像などを通して

地球の生命の進化が
とてもわかりやすく展示されていました





会場には
小さな子供を連れた家族や

古代生物マニアのような青年

また
研究者風の年配の男性など

さまざまな年齢層の老若男女が
訪れていました



実際
入場券を買うために
行列に並んで
待たなければならないほどでした



NHKで放映された
『生命大躍進』の影響でしょうか

それにしても
このような内容の展示会に
これほど大勢の人が関心を持って
集まってきていることに

私は驚きました


ここに集まっている
大勢の人々を眺めながら

私は
以前に読んだ
『宇宙には意志がある』(桜井那朋・著)
に書かれていたことを
思い出しました

「ここに私たちが存在しているのは
単なる偶然の積み重ねではなく

宇宙創成の当初から
準備されていたのではないか・・・

宇宙は
自分の姿を見るための”鏡”として
人類をつくった・・・」


今日の会場で

専門的な科学者だけでなく
小さな子供からお年寄りまで
多くの人々が

地球上の40億年の歴史を
目の当たりにしている光景を見て

今この時代に生きていることに
大いなる誇りのようなものを
感じました

















石清水八幡宮

2016年02月03日 | ひとり言

今日は節分です

私は今年還暦を迎えますので
厄年にあたるそうで

先日の日曜日に
石清水八幡宮にでかけ
厄除けのご祈祷をしていただきました


境内には
厄除け参りに
大勢の人が訪れていました


ご祈祷していただいた後
いただいた授与品の一つに
「御神水」がありました


その箱に
興味深い事が書かれていました





「水は形体の始め 
神は気の始め 
水は清の本 
神は生の本也」
と言われますように

水は人間が生きていくうえで
欠くことの出来ない
最も大切な物の一つです


この聖地男山の中腹には
八幡大神様が御鎮座される以前より

厚い信仰を集める霊水「石清水」が
湧き出ており

古来宮中を始め
将軍家の御祈祷にあたって
また現在でも
重要な祭儀には
この霊水を
ご神前に献ずる事が
ならわしとされております



朔旦冬至

2014年12月22日 | ひとり言
今日は冬至です

また今年の冬至は
「朔旦冬至」と呼ばれる
特別な日です


「朔旦」とは
ついたちの朝という意味だそうで

「朔旦冬至」というのは
旧暦11月1日と冬至が重なる日であり

冬至の日に新月が重なりあう貴重な日らしいです


月の光の消えた
一年で一番長い闇夜




これほど
陰きわまる夜は無いでしょう




しかし

「陰きわまれば陽に転ず!」

今日を境にすべてがあらたまり
成長してゆく

今日は
そんな特別な日なのです




次に「朔旦冬至」が訪れるのは
なんと38年後なのだそうです!

私は多分
もうあの世に行っていますね~・・・



冬至は
一年で昼が最も短い日ですが

今日を境に
日足は徐々に伸びてゆきます



また月も
新月を境に
あらたに復活してゆきます


昔から
「朔旦冬至」は
太陽と月が共に復活する
おめでたい日と
されてきたのだそうです




そういえば
不思議なことに

1週間ほど前から突然
私のまわりに色々な波が
怒涛のごとく押し寄せてきて

心が揺れて
重たくなっていました


しかし
一つ一つの波に対して

ただ自分自身の真心に忠実に
本当の気持ちを丁寧に表現していくことで

かなりエネルギーは使いましたが
徐々に心の中がすっきりとしてきました


そして夕べ眠りについた時には
まるで
心がカラッポになったような
軽さを感じました


これは

もしかしたら
「朔旦冬至」を迎える
地球のリズムに同調する

宇宙から与えられた
試練であり

恩寵だったのかもしれない・・・

ふと
そんなことを信じてみたくなりました









小さなシンクロ

2014年09月08日 | ひとり言
最近起こった
小さな3つのシンクロについて
書いてみます


①継体天皇

先日
お茶のお弟子さんから
高槻には前方後円墳があって
埴輪がたくさん発掘されたという話を聞きました

その
3日後に
たまたまその古墳の近くにある
高槻現代芸術劇場で行われるコンサートに
出かけることになっていました


コンサートの時間まで余裕があったので
話に聞いた
前方後円墳を見にいって来ました


そこは
継体天皇のお墓で
公園として整備され

発掘された膨大な埴輪が
隣接された
高槻市立今城塚古代歴史館に
展示されていました


その数日後のこと
枚方市の広報に
継体天皇にまつわる講座の案内が載っていたので
申し込むことにしました

因みに
継体天皇とは
応神天皇の5世の子孫にあたり
58歳の時に
樟葉宮で即位された
第26代の天皇です

樟葉宮の跡は
毎年初詣にでかけている
交野天神社の境内にあります





②悪口の品格

先日夫が

「今夜は
会社の昔の同僚と会って飲むのだ」

と言って出かけました

出かけ際に

「今日は悪口大会になるかな・・・」

とつぶやいたのが
何となく気になっていたのですが・・・


その晩
夕刊を開くと
「悪口の品格」と題されたコラムが載っていました


その場にいない人の悪口を言うのは
場が盛り上がるものだが
言った後は
何となく後ろめたさが残る

とはいえ
自分だけが口を閉ざしているのも
座が白けるような気がする

悪口を言う時には
「品格」を持たなければならない

その時にこそ
その人の「品格」が現れる


このようなことが
書かれていました


なるほどなるほどと頷きながら

夫はちゃんと品格を持って
「悪口」を言っているかしら・・・と
思いました


③なた豆茶


1か月ほど前
「なた豆茶」という
あまり聞いたことのない名前の
お茶の試供品をいただきました


なんとなく
台所においたままになっていたのですが
先日の夜
ふと思い出して
飲んでみることにしました


飲みながらふと
「なた豆ってどういうお豆なのかな。。。」と
思った瞬間!

つけていたテレビから

「今日はなた豆の収穫の様子をお伝えします」

というアナウンサーの声が流れ

長さ50センチほどもあろう
大きくて硬そうな「なた豆」が
画面いっぱいに映されたので

びっくり仰天しました!!






自分だけの”秘密の楽譜”

2014年02月27日 | ひとり言

今朝
ふと こんなことが思い浮かびました



私たちは
この世の舞台に登場する時に



自分だけの

特別な


”秘密の楽譜”


を携えて生まれてくる





それは

誰かが作った曲ではなくて


この世に生まれる前

自分自身で作曲した曲




楽譜には
色々な音符が書かれていて


どんなメロディを


どのような順で演奏するのかは


もう決めているから


この世の私には


変えることはできない




でも

私たちが

たとえばピアノで
同じ楽譜を演奏したとしても


一人ひとり

その演奏が異なるように



私たちは

自分だけのそのメロディを


自分の好きなように


どのように演奏してもいいのです



始まりのメロディも

終わりのメロディも決まっていて


その途中にどんなメロディがやってくるかも

全部決まっている


でも

そのメロディを

どのように演奏するか



それは


「自由」なのです







喜びのメロディを演奏する時もあれば


悲しげなメロディを演奏しなければならない時もあります



それをどのように表現するのか



どんな大きさで


どんな速さで


どんなタッチで


そして何より


どんな心で表現するのか



「喜・怒・哀・楽」




それは


全く「自由」なのです





変えることのできない


自分だけの”楽譜”




どんなメロディを演奏する時も


私は 


いつもいつも


「感謝」の心で


奏でていたい




そして

全ての音を弾き終えたら


この舞台から


満面の笑顔で


立ち去りたいです



その後は

すぐにまた

次のステージで演奏する

新しい楽譜を作ります♪






2014年

2014年01月09日 | ひとり言


新年明けましておめでとうございます

と言いながら
気づけば
2014年が始まって
もう1週間が過ぎました

昨年の暮れから
息つく間もなく
色々な行事をこなしている自分がいて

一つをやり終えたら
それをゆっくり振り返っている時間もないまま
次の段取りを考えて

体もあちこち故障しながら
それでもなんとか
自分なりに
ここまでの予定をクリアできて

今やっと
少しほっとしています



そして
あらためて
今年一年の抱負を考えてみようと思うのですが
実は昨年の暮れから
気になっていた言葉があります


それは
「自由」
という言葉です



14年ほど前
私は「聖なる日常」という本を出版しましたが
そのプロローグに
次のような文章を書きました





「『見えない世界』に対して心をオープンにしていくことで
私たちは真に自由に生きられるようになる」




この本には
自分自身の体験からの気づきと
本などから学んだことをまとめました

しかし
正直に言いますと

私は見えない世界があることは
受け入れることができましたが

この文章にあるように
それで自分が『真に自由に』生きることができるようになったとは
今をもっても
胸を張って言うことができません

ただ当時は
見えない世界があるのか無いのかという葛藤から
自由になれたことを言いたくて
その文脈の中でこのような表現をしました

ところが
いざ出版されて
本の帯に
この文章が取り出されて
大きな文字で載っているのを見たとき

「真に自由に生きられる」

と堂々と書いてしまった自分に
少し後ろめたさを感じてしまいました 


以来
この本の中で唯一
この部分だけが心にひっかかっていました


もちろん
『自由』という概念には
色々な意味があると思いますが

自分で書いたものの
『真の自由』とは何かがつかめないまま
月日が流れていきました


ところが
昨年の暮れに目にしたある文章を読んで
私は『自由』という言葉の持つ
一つの解答を見つけたような気がしました

それは

「自分の周りの状況を『判断』しないことが『自由』の第一ステップ」


つまり
起こったこと
起きていること
これから起こるかもしれないこと

それが何であろうと

「良い・悪い」


「正しい・間違っている」

と判断しないこと



本当の『自由』とは

自分の価値観から
解放されること


他でもない
自分自身から
『自由』であること


そして
自分の「過去」からも「未来」からも
『自由』であること





それは

「今 ただ存在している」

という

being の状態


そこに

喜びを感じ


そこから

『真の自由』が始まる



今年は

このような状態にいる時間が
少しでも増えるように
一年を過ごしてみたいと思います



voice 1月号より

「さとりとは 
つきることのない
おとなの最高の
そして最後のエンターテイメントである」




12月8日

2013年12月08日 | ひとり言
12月のことを
「臘月」(ろうげつ)
というのはなぜだろうと思って
調べているうちに
面白いことに気づきました


「臘」とは

もとは古代中国において
冬至の後 第三の戌の日に
猟の獲物を先祖百神に供えた祭のことを
いったのだそうです(広辞苑)



また
「臘」は合の意味で
新旧がつなぎあわされる時として
天地 神霊 祖先をいっしょにした「合祭」
古代に「臘祭」と称された行事のこと


「臘」は猟の意味で
子孫たちが野獣を捕って
うやうやしく先祖に供えた
原始社会の祖先崇拝の遺風


といったことも
コチラにかかれていました


ウィキペディアによれば
この祭りは
5世紀頃より
12月8日に行われるようになったのだそうです



さて
今日はその12月8日ですが

この日は「臘八」と呼ばれ
釈迦が悟りを開いたという
釈迦成道(じょうどう)の日とされています


釈迦は
断食など体を痛めつける苦行をしても
結局はそれで悟りを開くことはできないことに気づき
苦行を捨てて
村娘スジャータが作ってくれた「牛乳がゆ」を食べて
体力を回復させた後

菩提樹の下で瞑想に入り
ついに悟りを開いたと伝えられています


それで
臘八の日には
仏前に臘八粥が供えられるのだそうです



ところで
キリスト教において
処女マリアが「イエスを身ごもった日」とされるのも
「12月8日」です


そして この日は
日本の真珠湾攻撃の日
つまり
「太平洋戦争勃発の日」でもあります


そしてまた

「想像してごらん、国境のない世界を・・」
と歌った
あのジョン・レノンの命日も

「12月8日」でした


「12月8日」は

時空を超えて

何かがつながる・・・

そんな特別な日のような気がしてきませんか?









誕生日の前の日のこと

2013年09月27日 | ひとり言
昨日は誕生日でした
57歳になりました

誕生日の前の晩
私は
自分でもびっくりするくらい
「怒り」の感情を
表出してしまいました

具体的には
夫に対して
「あなたのそういう言い方が
私はいやなの!」
と 口が勝手に叫んでいたのです


本当に心臓がドキドキして
自分でもびっくりしました


私は
まわりの人に対して
ムカッとすることは
たまにはありますけれど
いつも
その感情を自分の中に閉じ込めるか
考え方をコントロールして
表に出さないで生きてきたつもりです

それは
多分小さいころ
家庭環境の中で
そうやった方が物事がうまく運ぶことを知り
生きるために身につけた

あるいは
もともと持っていた
生きる術だったような気がします


そのかわり
眠っている時に
夢の中で
誰かに怒って
びっくりして目をさますことは
時々あって

そうやって
たまっていた怒りを
放出していたのかもしれません


だから私は
日常的には
自分は怒らないタイプの人だと
思っていましたし
人にもそう公言していました


ところが
56歳最後の晩に
私は
自分も声をあげて怒ることがあるのだと
知りました



自分ではない自分が
突然現れたような気がしました


でも
なんだか心がすっきりしました


夫は
その晩は無言で2階へあがっていきましたが
一晩明けて朝になったら
不思議なことに
少し優しくなっていました


私はほっとしました


夫としては
びっくりしたのかもしれません

あるいは
私がおかしくなったのではないかと
少し心配になったのかもしれません


いずれにしましても
56歳の最後の晩に
私は56年間心の奥底にたまっていた汚れを
一瞬で外に吐き出したような
そんな気がしています


怒りの感情の奥には
寂しさや悲しさなど
隠された思いがあるのだそうです


57歳になったこれからは
怒りの感情をただ押し込めるだけでなく

その奥にある
自分自身の気持ちを
しっかり確かめながら

これまでより
もっと自分に正直に生きてみたいと思います

またまた奇妙な数字・・・

2013年09月07日 | ひとり言
先日
ゾロ目の数字のことを書きましたが
昨日はまた

1111”と”9999”の車を1台ずつ

それから

”・119”の車2台がすれ違うのを見ました

そして今朝は

6666”を見ました


あまりに続くので
なんだか気になって
他にもこういう方がいらっしゃるのではないかと思って

「ゾロ目をよく見る」

というキーワードで検索してみますと・・・


やはり
そういう方はいらっしゃるようで
その現象について色々な解釈があることもわかりました


「潜在意識とつながっている」とか

「天使からのメッセージ」などと解説されていました

因みに
”119”など「1と9のコンビネーション」には
次のようなメッセージがあると書かれていました↓

あなたの思考の産物として
新たな扉が開きました

今あなたは
自分自身の思考を正面から見つめ
それがつくりだしたものを
その目で見るのです

古いものが崩れ去るままにしてください
なぜなら
それはあなたの望みに沿った
新たなもので置きかえられるからです



なるほど・・・
ちょっと思い当たる気もします


あらためて考えてみたら

あと”7777”と”0000”を見ることができれば
0から9のすべてのゾロ目に出会ったことになります


でも
車の番号で”0000”は無いですよね~


もし”7777”に出会えたら
またご報告しますね!

変に欲を出して待っていると
会えないかもしれませんが・・・wink