龍の御歳後:徒然の記

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永くかかったなー

2016-03-12 22:51:19 | 日記
自分の世界に綴じ込もって、日本史は室町の前で止めてしまい、遠くの世界史のみを勉強した。生々しい、どろどろした現実から目をそむけていきようとしてきた。60歳にもなんなんとして初めて人間の駆け引きがどうなされているのかよくわかるようになってきた。ただ、昔から戦わないことを最も大事と感じていたので、分かっても、外面の行動はさほど変化はしていないようだ。良いのかどうかわからないが。
人間は、穏やかな人もいるけれど、本来、戦う生き物だ。まあ、人間くらいになったら、一応、ルールののっとってほしいもので彼度。
いま、自分や部下を守るために戦わなくてはならないとしみじみ思う。

ただ、冷静になると、

2016-03-12 18:48:44 | 日記
700名は居る組織である。皆が仲良く同じ方向をみている
ことこそ恐ろしい。私が、数々の気の合わない人がいて、
それでも別に辞めないで働いている。それこそ日常の常態
であり人間臭い所業であると良く思う。知らない他人に我
だって、多くの不快を与えているのだろうと、この歳にな
るとつくづくと感じる。

彼(3)

2016-03-12 00:44:43 | 日記
余り学生時代のことは聞いたことはない。というのは、
私の方から話の水を向けたことはないからだ。学問に関
して凄いことばからなので、驚くことばかりだったから
でもある。あれだけ凄かったので相当勉強したのであろ
う。でも多分それは天下の東大医学部、ここは
The Universityである。
(The University of Tokyo. 他に、The Tsukuba Universityが
あるが、味わいが異なる)
金時計が3人いるらしい。その3人にはなれなかった。
このころ、医学部の俊才は第3内科に集まった。希望者が
多すぎて何かの理由をつけて選別したという。大学に入学
した頃、肺炎を起こし、誤診で結核と診断され、気胸療法
がなされ、X-ray上、それが残りハンディと判定され断ら
れた。不本意にも第一内科に入局することになったとのこ
とであった。
そういえば、東大のポリクリでは、皆、ネクタイをしない
と駄目だったらしい。暑い夏であった、皆がネクタイして
いたのに下着に白衣を来て参加。ひどく怒られたらしい。

ドンクサイ彼らしい。
私は?もうお金がなかつた。6年でジーパン3本。
仕方ないないので、患者さんの前に出るときは白い白衣
に白いジーパンですごしました。
今も、ケーシー白衣です。
普段は2本のブルージーンズを着て暮らしました。
貧乏な医学生でした。
厳しい教授には眼をつけられました。