龍の御歳後:徒然の記

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大谷、今季1号!

2024-04-05 23:47:23 | 日記
 1号が出てホットしました。今年はドジャースが大谷をチームの顔・中心として位置づけWSの制覇を狙っています。ベッツもフェリーマンも最高の選手ですが、そうした事情から本当の意味での盛り上がりは大谷が打たないともたらせない。ベッツはガンガン打っているけれど、大谷が1号を打った時は球場が揺れていた。この人が打つのと他の人が打つのでは別の事なのだ。ベッツとフリーマンは大谷を迎えるにあたり、その辺の話し合いには納得していたのだろう。二人共、大谷に関係なしに打っている。大谷との距離間が明確では無かった、中田翔やトラウトは此奴は何なんだと感じつつ圧倒された、と思われる。中田は潰れ、トラウトですら、人格者と言われているトラウトですら危険な状況であった。大谷が居なくなって、トラウトは可なり回復すると思われる。
 試合のある時はドキドキしながらスマホで覗き見る。大谷が打った時はホットする。これは困ったものだ。昔、巨人や阪神のファンが負けると朝に顔を合わせても機嫌が悪い吾人が結構いて、馬鹿じゃないのと思ったものだ。私は、彼が打てないとガッカリはするが、外面は普通。この年になって自分にこんなことが起こるとは信じがたい。スーパースターであることは非常なストレスであろう。あの、私の中での最高のスーパースターMJですら常に強いストレスを抱えていた。大谷は一平が居なくなって大変な面はあるものの、優しい賢い奥さんを貰ったので大丈夫。貴方なら行ける。高額報酬の義務は、10年で最低3回のWS制覇でしょう。
頑張れ、大谷!

小学生時代の思い出

2024-04-04 21:47:50 | 日記
昔の田舎では、教師、坊さん、警察官は名士であった。多分、中学までの先生は大半が北海道教育大学卒でしょうね。子供の頃は考えたことも無いが。

幼稚園:お寺の坊さん。御贔屓の子供一家があって、当方は目を付けられて何回も帰りに残された。
小学1年:タテイシ先生。町の中心から外れた、漁港近くの私の家の近くの鉄工所のお嬢さん。家庭訪問もあったように思うが、うっすらと顔を覚えているものの、可なり大人しい方だったのであとはほとんど覚えていない。
2年:クロサワ先生。結構、元気な真面目な女性であった。当方、ADHDの気質があり、授業中も可なりうるさく、今でいう、先生が切れて、保健室に行って口に絆創膏を張ってもらうように命令された。保健師さんに絆創膏を張ってもらい、廊下でバケツを持って立たされた。でも、病気になった時は優しくしてもらった。
3年:キヤ先生。美術が得意。外で寺門の水彩画を描く授業があった。美術の評価は3であった。(私への評価は絶対評価であったらしい)先生の水彩画はサラッとした素敵ではあったが、他のクラスのミナズキ君とクドウさんのは子供の目からみても重厚な凄い絵であった。ミナズキ君はあまり売れてはいなが、プロの今でいうグラフィックデザイナーになった。
4年:ササキ先生。3年の時に担任だった子供たちがお気に入りで、我らのクラスは相手にされず、全く記憶に残っていない。
5、6年:ナガハマタカヒロ先生。日教組系の先生だったが、政治色なく誠に公平な立派な方であった。共産系なので、全科目絶対評価。体育の評価などは50名弱のクラスで、5評価は1名のみ。我は全科中5が半分。これは極めて正しく、中学では全て5になったが、2流高校への進学にもかかわらず5は7割くらいにしかならなかったので、ナガハマ先生の評価は的確であった。教師としては高校を通しても最も立派な方であったと思っている。理想高く、数年後に教壇を離れ、日教組の組織に移動した。今になって考えると、先生に取って、賢明な選択では無かったように思われる。

歳を取っても、子供の頃の思い出は比較的鮮明に残っているものである。

ふるさと

2024-04-03 19:58:59 | 日記
全く北の大地の風情のない、所謂、海に面した寒村である。御多分に漏れず、少子化の波をもろに受けて過疎化が甚だしい。人口1万7千人であった町が、今や7千人弱である。5年ほど前に帰郷した際、午前11時ころ車で街中を通り過ぎたものの人影がない。車を降りて、もう更地にしてしまった実家の辺りを姉と散策した。小学、中学と同期であったやや俊敏さに欠ける知り合いと出くわした。殆ど話したことは無い。相手はこちらを認識できず、言葉を交わすこともなく傍らを通り過ぎた。すっかり親爺になっていたが、子どもの頃と雰囲気は変わらなかった。ただ、額のしわと白髪が長い月日を生きた証を醸し出していた。何となく、もう二度と会うことが無いのだなという事を感じつつ町を後にした。そんなものなんだろうな。私は酷い対人接触障害(職業の殻を被っている時は大丈夫なので、相当臆病なのだろう)で、他人との距離感をつかめないまま歳を重ねて今日に至っている。困ったものです。

断片的なものの社会学を読んで

2024-04-01 21:39:28 | 日記
 社会学者 岸政彦氏の「断片的なものの社会学」を読んだ。色々な分野の方々が自分の専門分野で見聞きしたものをエッセイ風に書くが、他の分野の方が書いたものは、結構、興味深くて面白い。
ただ珍しいだけではなく、観察眼、感性の良い方の書いたものは出会うととても幸せな気分になる。 この本を見つけたことに感謝してまたこのブログを再開。

何年ぶりかなー。もうすっかり使い方を忘れた。

この本の項目に、「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」というのがある。岸先生のような社会学者としてもマニアックな視点を持つ人の目にしか付かない独り言のような記載も多いとのこと。
私も何の役にも立たない記事書いて5年も放置しても時に訪れる方もいるようなので何となくつぎ足したくなった。少しは生きた証になるかも知れないと思って。

、、、からの人、、、までの人、、、だけの人

2019-04-13 09:51:57 | 日記
これは何にでも使えますし、また、自己反省の手段にもなります。
ネットで、記事を流し読みしていたら、最も卑近な例である、東大合格者の記事がありました。
①東大合格からの人→天才(東大に進学した高校の先輩である秀才は、高3の時、ドイツ語を勉強していて、教師を驚かせたそうですが、このレベルだと6-7か国語を学んでいる人は結構います)
②東大合格までの人→能才(一般的東大卒)
③東大合格だけの人→この方のことが書いてありました。田舎では神童と言われたものの、入学したら田舎出身は孤立無援。授業が始まったら、付いて行くのも大変。当然、待ってくれないですから。単位取得のために誰もとらない古典をとったら、これまた難しい。人には知られていないものの、万葉集はすべて暗記していて、万葉集の資料を風呂敷に入れて大学と家の往復だけで生活していると言う奇妙な先生方が、この大学にはそれなりにいらっしゃいます。文1なので一念発起して司法試験に挑戦。弁護士にになって、何年かしたら地元の市長にでもなろうかしら、と考えたらしい。昔に比べれば司法試験もかなり易しくなったし、東大の人は大半が大学のうちに合格する人も多いが、やはり日本で1番難しい資格試験なのは変わらない。(山尾志桜里さんは7回かかったようですし、私の田舎の大秀才も2回の受験失敗であきらめて、昔の労働省の官僚になりました)ところが、通らない。現在、30歳。予備校の講師を続けながら受験しているようですが、現在は回数制限があるからかなり難しいでしょう。多分、予備校講師で収まります。

私も、田舎者としてはまずまずのpositionまで行きました。しかし、なったpositionは権威あるものでしたが、自らには荷が重く結構苦労しました。(本質的に気合と覚悟、プライドの無い人はposition上がると負担です)前任者2人は、からの方々であり、私はまでのひとでした。私の後を継いだのは、だけの人でさらに大変な事態になっています。私も定年になってしまいましたが、今度は何とか定年してからの人になりたいと思っています。ただ、なかなか根気が続きませんが。若いころに読めなかったカントやデカルト、やりたかったイタリア語なんかを始めていますが、なかなか進まない。まあ、残された人生を考えると、とても完成することはありそうにないですが、趣味はそんなものと気楽にやりたいと続けて行きます。水泳も再開です。