彼は、昭和の初め、北国の3人兄弟の3番目、地方の勤務医の長男として
生を受けた。姉2人の詳細に関しては余り語ったことはない。彼もまた、
他人との交流は上手くはなかったのかかも知れない。
幼少期から剣道をやり、真面目な性格であるから、段位はとったらしいが、
運動は苦手らしく、武勇伝は聞いたことは無い。
何時、どの様な理由で医学を目指したかは不明であるが、後、地方の
赤十字病院の院長にまでなった父親の姿をみ、彼の性格を考えると進む道
は自然と決まったのかも知れない。
頭の良い人はそんなことを語らないのだろう。彼から、抜群の成績であった、
と聞いたことはない。
ただ、戦時色の強いご時世だったから、中学のころ、夜中にトラックで山の
中にクラス全員が打ち捨てられて、決められ場所に帰ってくる、という
訓練?を良くやらされたようだが、結果は何時もビリであり、あんな非建設
的な所業をやらされる謂れはないと良く憤慨していた。
科学だけが進歩を確認できる唯一のものであり、
哲学や宗教などは、何かしら進歩の糧になって
いるのだろうか、と良くもらしていた。
生を受けた。姉2人の詳細に関しては余り語ったことはない。彼もまた、
他人との交流は上手くはなかったのかかも知れない。
幼少期から剣道をやり、真面目な性格であるから、段位はとったらしいが、
運動は苦手らしく、武勇伝は聞いたことは無い。
何時、どの様な理由で医学を目指したかは不明であるが、後、地方の
赤十字病院の院長にまでなった父親の姿をみ、彼の性格を考えると進む道
は自然と決まったのかも知れない。
頭の良い人はそんなことを語らないのだろう。彼から、抜群の成績であった、
と聞いたことはない。
ただ、戦時色の強いご時世だったから、中学のころ、夜中にトラックで山の
中にクラス全員が打ち捨てられて、決められ場所に帰ってくる、という
訓練?を良くやらされたようだが、結果は何時もビリであり、あんな非建設
的な所業をやらされる謂れはないと良く憤慨していた。
科学だけが進歩を確認できる唯一のものであり、
哲学や宗教などは、何かしら進歩の糧になって
いるのだろうか、と良くもらしていた。