信仰生活の初期に、伝道することを教えられたばかりの頃、伝道イベントが終わって、目に涙を浮かべていた若い女性と、二人でゆっくりと話したことを思い出した。
彼女は口に出すのも恥ずかしい過去の罪を告白して、イエス様を売れ入れるお祈りをされました。
私は、その罪の内容に衝撃を受けて、それ以来、彼女と話しをすることができなかった。
しかし、今、自分の過去を思い出す時、私は彼女と同じで、暗闇にいたことがわかり、そんな中から、神様のあわれみと恵みによって、不思議にそれ以上にならないようにと守られて、救いにあずかることができました
エペソ人への手紙5章
11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
12 なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
これから、伝道する際に、相手の方が自分の罪の告白をしやすくなるのであるなら
もしも、もしも、そんな状態になったらのことですが
私自身の口にするのも恥ずかしい罪の数々についても、
今や告白して、すっかり赦されていると話すことになるかも知れないと思いました
聖霊によって、私の体験も用いられることもあるかも知れないと思います。
以前は暗やみでしたが、今は主にあって光。
光の子どもとしての歩みをすることは神の命令ですから

互いの罪を言い現わして、分かち合うことに意味はありません。
その人が、完全に主の赦しを受けているなら、人に話す必要はないのです。
平安が無く打ち明けて重荷を下ろすのは世のあり方です。
してあげられることは、みことばを指し示すことだけだと思います。
罪の処理は十字架だけです。平安もキリストの血潮からのみたまわるものです。
そこに、人が関わることはありません。
私は、なぜか秘密を打ち明けられることが多くありましたが、
すべて主の前に捨て、二度のそのことを思い出さないようにします。
罪はどんな罪でも、それを留めるなら悪いものの足台となるからです。
キリストによって、赦されたものはすでに聖いとされたのです。
二度と吐いたものに戻るようなことをしてはいけません。
打ち明けて重荷を下ろすのは世のあり方、ーーそうですね。カウンセリングを重ねてもなかなか救われないとのことです
二度と吐いたものに戻るようなことをしてはいけません。--はい。
してあげられることは、みことばを指し示すことだけーーーそんな機会が与えられることを願います
ご意見を聞かせてくださって本当に感謝です