オカンとマンマ ~ 森永砒素ミルク事件 ~
原告団長、中坊公平の講演より。
わたしは、ほとんどの被害者の家庭を訪問したが、おおくの母親は、
あたかも自分が、安物の粉ミルクを選んだことに後悔していたという。
おなじ森永でも、ゴールド・ミルクには混入されていなかったのだ。
ある母親は云う。「わたしは、この子が生きていくために必要な言葉、
一つは母を“オカン”もう一つは飯の“マンマ”を教えました。
この子は、家にいるときは決して泣かなくなりました。
ところが、ある日、この子が帰ってくるなりわたしにとりすがって、
涙をうかべているんです。どないしたん、いじめられたんか、と聞くと、
“アホウ”と云うたんです。一度も教えてない三つめの言葉を……。
森永砒素ミルク事件(死者113人)年表 19550824~19740427 19550824 厚生省が森永乳業徳島工場製造の粉ミルクの使用禁止を通知。 19700615 森永側の弁護団が初めて原因が粉ミルクであったと認める 19731223 恒久救済策で合意 19740423 財団法人「ひかり協会」設立 1211 財団法人「いしずえ」設立(サリドマイド訴訟) ──────────────────────────────── 中坊 公平 元弁護士 19290802 京都 /日弁連会長20031010引責廃業
http://www.hikari-k.or.jp/jiken/jiken-e2.htm
作成日: 2005.02.25(金)1955-08-24 00:00:00
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