腹話術人形けんちゃんの日記

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絶望名言2・黒澤明・2020年01月28日(火)

2020-01-27 08:28:49 | 日記
   絶望名言2の066ページ~068ページからのの転載です。

 黒澤明が68歳のときに書いた「蝦蟇の油ー自伝のようなもの」(岩波現代文庫)というタイトルの自伝

を読むと、決して強い一方の人ではないんです。

 意外なことに、幼い頃は身体が弱く、気も弱く、泣き虫だったそうです。

 小学校の勉強にもついていけなくて、ひとりだけ離れたところに机と椅子を移されて、

授業中、先生はときどき、「これは黒澤君には、わからないだろうが」とか「これは黒澤くんにはとても無理だが」

などと言って、他の生徒たちがクスクス笑ったそうです。

 しかも実際、先生が説明していることが自分にはわからなくて、悲しく苦しかったと、黒澤明は書いています。

 朝礼では気を失って倒れる、ドッチボールのときはみんなからボールをぶつけられ、それをうけとめることもできない。

 学校生活は地獄の責め苦だったそうです。

そんな黒澤明が変わったのは、図画の時間に描いた絵を、立川という先生がほめてくれたことがきっかけでした。

 しかし、その先生は学校をやめさせられ、新しい先生は黒澤明の絵を徹底的に罵倒します。

それでも黒澤明は後に画家を目指すようになるのですが、美術学校、現在の東京藝術大学の美術学部ですね、

そこの受験に失敗します。

 あきらめきれずに絵を描き続けますが、ついには挫折します。

黒澤明が強くなっていったのには、尊敬する兄の励ましもあったのですが、その兄は何度も自殺未遂をし、

 ついに心中をしてしまいます。

身内の死ということでは、やさしかった姉も若くして病死しています。
 
 黒澤明自身も、61歳のときに、自殺未遂をしています。もっと若いときに、もうこれで映画が

撮れなくなるかもという危機もありました。

 そういうふうに、黒澤明は、決して悲しみを知らない人ではないんです。むしろ、

弱さも悲しみもたっぷり持っているからこそ、強さを魅力的に描くこともできたのかもしれません。