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Art&Blue-Liberalism:青き自由主義 復刻版 など 

アダム・スミスとマックス・シュティルナーの思想を参考にして自由に個人が生きる世を目指す!

2.2 公的部門管理

2016-11-30 22:46:46 | 国民国家の黄昏にて
近代経済の伝統的な価値観においてはそれぞれの国民国家が自国の公的部門を運営しておりその国民国家が全運営責任をおっていた。 しかし、このグローバル化する世界経済の中で個人等も移動、生活環境および製品やサービスの売買など選択肢が国境を越えて広がったため、従来の運営手段と責任制の所在の在り方に問題がでてきた。 

最大の問題は、その国土での公共設備を「使った分だけ支払う」という責任を常にだれが負うべきかということである。 マクロ経済理論においても、大多数の国々では一国家全体のレベルと数多の地方レベルで財政政策が運営されている。 この国家間を跨いだ経済活動が盛んであるグローバル経済において国家の枠を超えたレベルでの財政政策の必要性が世界各所で検討され始めている。 

上記の他にも、重要なマクロ経済 グローバライゼーションと個人の活動範囲の拡大に関係することだけではない。 財政的な責任制だけでなくその活動範囲内の好景気と不景気というようなマクロ経済の環境や波を制御する役目である。 各ビジネスと各個人のライフスタイルのグローバル規模の活動レベルにおいて、以前よりもより一層それぞれの国家の景気変動はよりお互いに同調するようになる。 

そして、金融政策や財政政策、国際貿易法や労働者個人と資本の動きなど供給側に対する規制などのマクロ経済レベルでの一国民国家政府の一国民国家経済への政策介入の効力が無くなっていく。 つまり一国民国家の経済環境を一国民国家の政策だけでは制御できなくなっている。 これは一国民国家のマクロ経済環境が他国の経済環境により影響を受けるため、景気を喚起または抑制するためには、そのマクロ経済レベルでの介入政策を、国家の集団レベルでの規模もしくは場合によっては全世界規模での大規模で、一斉に行わなければならないであろう。 

責任制と経済環境の双方の問題が心配される。 世界各地において公的設備の費用の支払い責任と資源の配分は公的部門の管理においてもっと中央集権化されより広範囲での管理運営を行うであろう。 この世界中で起こる公的部門管理の中央集権化はそこに住む各個人等がその構造のもたらす費用対効果に対して満足のいくものであれば最適であると考慮されるであろう。

ただ、その公的部門管理の中央集権化という改革を推し進めていく中で、住民等の抵抗の中で妥協した場合の集権化の度合いで調節されるとき問題が生じる。 中途半端に改革が進んだ場合には公的部門の構造がもっとも最適な状態になるどころか不適切な状態になる可能性も高い。 その際により行政を中央集権化して物理的な安定を保つか、なるべく民意を反映させやすい分権的かつ民主的な制度を保ち精神的な至福を重視するか、そこに住む住民個人達の文化的背景も絡みそれぞれの地域で異なる行政構造を築き上げていくであろう。 、


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