私が評価しているキリスト教の功績は哲学、特に政治哲学と形而上学、における分野ですね。アウグスティヌスの前期スコラ哲学はソクラテスとプラトンの哲学を継承し迷信からの脱却と秩序ある統一による文明発達に貢献し、トマス・アクィナスの後期スコラ哲学はアリストテレスの不動の動態の理論から従来の神論とは区別するありし神の定義として Panentheism 万有内在神論を提唱しつつ個人の自由を尊重しキリスト教(カトリック)の原理主義化を阻止したことですね。この哲学的進化過程がなければスピノザの Pantheism 汎神論も生まれなかった。それで面白いことが実は Pantheism 汎神論って既に神道がそれにあたったわけです。周りの教養ある西洋人にスピノザと神道のつながりを説明してもなかなかしっくり理解してもらうことは難しいですが。ヨーロッパ人が周りに回ってようやく理解した、神とこの宇宙の摂理に一番近い(と小生も説く)Pantheism 汎神論が実は既に前史日本にて確立されていたことは興味深いです。
日本ではお隣の朝鮮半島のように思想が原理主義化せず、軟化していく傾向にありますしね。霊夢と魔理沙の出てくる東方Projectが正に日本の宗教観と文化といえるでしょうね。八百万の神の世界です。自称神のレベルなら妖怪と同等の扱い受けるし。それでもって面白いことは霊夢自身が自分の神社の進行し奉っている神を忘れてしまうというのが古来から続く日本の神道っぽい。
あと、日本だけでなく世界において、キリスト教の宗教的カリスマは20世紀中ごろから徐々に衰退の一途を辿っています。もともとアジア世界においてキリスト教=世俗主義、アフリカにおいてはキリスト教=近代化ですし。カトリックにおいては形式上の頭数揃えていれば安泰している感じ。プロテスタントにおいては、無宗教と区別がつかなくなった個人と、逆に超原理主義化していく個人とでの二極化しています。キリスト教についてはニーチェが言及していたように、他の宗教と比べて土着の自然との結びつきや生活様式との密着性が薄いことが宗教としての限界なのでしょう。既にスコラ哲学から近代西洋哲学へ重要なものは受け継がれ、よもやその哲学の継承がキリスト教である必要の是非が問われる昨今。
日本ではお隣の朝鮮半島のように思想が原理主義化せず、軟化していく傾向にありますしね。霊夢と魔理沙の出てくる東方Projectが正に日本の宗教観と文化といえるでしょうね。八百万の神の世界です。自称神のレベルなら妖怪と同等の扱い受けるし。それでもって面白いことは霊夢自身が自分の神社の進行し奉っている神を忘れてしまうというのが古来から続く日本の神道っぽい。
あと、日本だけでなく世界において、キリスト教の宗教的カリスマは20世紀中ごろから徐々に衰退の一途を辿っています。もともとアジア世界においてキリスト教=世俗主義、アフリカにおいてはキリスト教=近代化ですし。カトリックにおいては形式上の頭数揃えていれば安泰している感じ。プロテスタントにおいては、無宗教と区別がつかなくなった個人と、逆に超原理主義化していく個人とでの二極化しています。キリスト教についてはニーチェが言及していたように、他の宗教と比べて土着の自然との結びつきや生活様式との密着性が薄いことが宗教としての限界なのでしょう。既にスコラ哲学から近代西洋哲学へ重要なものは受け継がれ、よもやその哲学の継承がキリスト教である必要の是非が問われる昨今。