経済活動圏が拡大するほどそれを監督し制御する装置としての政府が必要になる。 より大きな範囲を管轄する政府はより中央集権的な官僚組織的になる。 そして生産活動を担う組織も、分業と得意分野への特化により巨大化し中央集権的になる。 それは、生産活動のスケールが大きくなればなるほど管轄する役割と生産行動を行う役割の分業が進み、より能力を認められた幸運な少数の個人がその他大多数を監督することになる。
それを管轄する中央集権的な政府も広い範囲から個人を抜擢し能力が認められた官僚を選び抜き配置するようになるから広範囲における監督能力と事務処理力は向上するであろう。 そしてその効率的な事務処理でその経済圏にて余剰の生産分を再分割する機能も強化できる。 故に、大多数の個人等の必要最低限の生活環境は維持されるし、そもそも経済の活動規模が拡大した恩恵で物質的には豊になった。
しかし、個人の精神的に感じる幸福度とは物質的な至福のみでは満たされない。 ある程度の物質的な恩恵がもたらされれば、それ以上に物質的な恩恵をもたらすような変革があっても、精神的な恩恵をもたらす効用はたいして上がらないであろう。 それよりか、物質的な恩恵を増やすために政府およびその他組織が巨大化し中央集権化するということはそれだけ少数のエリートが大多数を代表して政策などを執行することになる。 つまりは、大多数の民意が直接反映しづらい制度になっていくということである。
ジェンレミー・ベンサムという功利主義を提案したイギリス人哲学者が下記方程式を著書「統治論断片」にて掲載していた。
君主制の効用 = 君主の力x1 ―(マイナス)貴族制と民主制の効用
貴族制の効用 = 貴族の知恵x貴族の数 ―(マイナス)君主制と民主制の効用
民主制の効用 = 民衆の誠実さx民衆の数 ―(マイナス)君主制と貴族制の効用
また、この貴族性とは技能主義的に選ばれた政府や組織で活躍する少数エリートとしても取れ、貴族の知恵を少数エリートの技能とも訳せる。 ともかく、いかなる政治体制においてもこの3つの変数(君主制、貴族制、民主制)の度合いから各変数の割合によってそれが行政の効用の度合いが変動するということである。
君主制はよほどその力、つまりカリスマやその家系から培われた権力など、が必要とされる時代であれば重宝されたであろう。 だが、これだけ世界中の個人等がつながり合い、総合的な生産力が向上した現在においては、部族が一丸となって他部族からの侵略の危機から守ったりまた己が部族が侵略を行う必要もなくなってきた。 故に、一部の未開発地域を除いて、貴族制や民主制から来る効用を犠牲にしてまで、君主制の効用にすがることもなくなってきている。
今現代の世の中において重要なのは貴族制と民主制の度合いの問題である。 これは少数の選ばれたエリート群がその集権化された技能で大きな組織を動かす技能主義(テクノクラシー)と大多数の民意を尊重して各個人が自分の生活する環境にての政治への意見を反映することを可能にする民主主義(デモクラシー)の間で揺れ動くジレンマと言える。
拡大した経済圏を管轄するための政府と多くの人材と機材を抱えて分業と長所への特化を駆使して生産力を上げる大企業群にてマネージメントを執行できる個人は少数先鋭で選ばれるし、その方が意見対立による時間と余力も少なく効率的である。 だが、すべての人間個人にとっては自分の生活環境における政策や労働環境の意志決定に自由に参加していきたいという欲求もあり、一部の少数エリート達だけに自分の未来を託すのも不安である。
その必然的に中央集権化に向かっていく生産力に注目した経済学とは別に浮上している問題に着目した例として、生産力に依存しない新しい経済社会学の分析に用いられる指数が作られた。 それは地球幸福度指数(Happy Planet Index: HPI) と呼ばれ、世界各国の住民個人の幸福度、健康度、そして環境への負荷を表す指数である。 つまり、個人がその生活している国で幸福感を感じ健康で長生きしてかつ豊な自然環境を保ちつつ生活できる環境を提供できるかどうかを示す。
このHPIの度合いはGDPなどに代表される生産力とは相関関連が完全にないとはいえないがそこまで強い関連度は無いとみえる感じである。 比較的に工商業的な生産力の低い国家でも非常に経済が発展した国家よりも高いHPIが算出された。
これは伝統的な工商業的な生産力の指数とこの新しい幸せ感を示す指数とどちらが正しく間違っているという問題ではなく、どちらも経済学と政治学を含む社会科学の分野で重要な指数である。 特に、最貧国と言われ生産力が至極低い国家では低いHPIが算出されている国家も多い。 故に、物質的な恩恵と精神的な恩恵の双方のバランスを取っていくにはこの双方の指数を比較検討していくべきであろう。
また、分権的なデモクラシーの方が集権的なテクノクラシーよりも生産力や物理的な恩恵を上げることが可能であるという理論がある。 テクノクラシーでは淡々と事務処理を続けていく少数のエリート官僚組織は温存の理論に依存しがちである。 それに対して、デモクラシーは、広範囲の管轄と効率的な事務処理に多少劣ることはあるものの、数多の個人から意見を採用することにより置かれている時と場所と状況に応じた政策および温存の理論になかった斬新な政策を提案し執行する可能性を秘めている。
デモクラシーは意見の衝突によって政策執行の効率性は落ちるが、今までの温存の理論が殆どうまくいかない中で数多の可能性のある政策を試し実践することがより可能である。その中で、その数多の意見からの討論と試行錯誤から新たなる政策案や経営案がイノベーションとして生まれる土壌になる。故に、各個人が自ら政治や経営に意見を反映できるということへの精神的な効用を得ると同時に、イノベーションを生み実行しやすい活発な制度の中で起こるイノベーションにより生産力を上げて物理的な恩恵を維持発展することもできるのではないか。
とにかく物理的な恩恵を増加させるためにあえてテクノクラシーを容認してきたが、政治や企業活動が各個人の民意から離れていくと精神的に不満になってくる。 ヨーロッパ連合内で連邦政府の導入による現状の不安定要素の払拭することに抵抗を示している勢力が多いのも、やはり自分たちの民意が政治と経済から遠のいてくるという不満から来ている。 これからこの世界はこのテクノクラシーの必要性とデモクラシーの要求との間で揺れ動いていくであろう。
* この記事を執筆は私の本家HP英語ブログ記事↓を基にしております。
http://art-blue-liberalism.blogspot.com/2015/09/dilemma-between-democracy-and.html
統計学による分析データも↑に乗せております。
それを管轄する中央集権的な政府も広い範囲から個人を抜擢し能力が認められた官僚を選び抜き配置するようになるから広範囲における監督能力と事務処理力は向上するであろう。 そしてその効率的な事務処理でその経済圏にて余剰の生産分を再分割する機能も強化できる。 故に、大多数の個人等の必要最低限の生活環境は維持されるし、そもそも経済の活動規模が拡大した恩恵で物質的には豊になった。
しかし、個人の精神的に感じる幸福度とは物質的な至福のみでは満たされない。 ある程度の物質的な恩恵がもたらされれば、それ以上に物質的な恩恵をもたらすような変革があっても、精神的な恩恵をもたらす効用はたいして上がらないであろう。 それよりか、物質的な恩恵を増やすために政府およびその他組織が巨大化し中央集権化するということはそれだけ少数のエリートが大多数を代表して政策などを執行することになる。 つまりは、大多数の民意が直接反映しづらい制度になっていくということである。
ジェンレミー・ベンサムという功利主義を提案したイギリス人哲学者が下記方程式を著書「統治論断片」にて掲載していた。
君主制の効用 = 君主の力x1 ―(マイナス)貴族制と民主制の効用
貴族制の効用 = 貴族の知恵x貴族の数 ―(マイナス)君主制と民主制の効用
民主制の効用 = 民衆の誠実さx民衆の数 ―(マイナス)君主制と貴族制の効用
また、この貴族性とは技能主義的に選ばれた政府や組織で活躍する少数エリートとしても取れ、貴族の知恵を少数エリートの技能とも訳せる。 ともかく、いかなる政治体制においてもこの3つの変数(君主制、貴族制、民主制)の度合いから各変数の割合によってそれが行政の効用の度合いが変動するということである。
君主制はよほどその力、つまりカリスマやその家系から培われた権力など、が必要とされる時代であれば重宝されたであろう。 だが、これだけ世界中の個人等がつながり合い、総合的な生産力が向上した現在においては、部族が一丸となって他部族からの侵略の危機から守ったりまた己が部族が侵略を行う必要もなくなってきた。 故に、一部の未開発地域を除いて、貴族制や民主制から来る効用を犠牲にしてまで、君主制の効用にすがることもなくなってきている。
今現代の世の中において重要なのは貴族制と民主制の度合いの問題である。 これは少数の選ばれたエリート群がその集権化された技能で大きな組織を動かす技能主義(テクノクラシー)と大多数の民意を尊重して各個人が自分の生活する環境にての政治への意見を反映することを可能にする民主主義(デモクラシー)の間で揺れ動くジレンマと言える。
拡大した経済圏を管轄するための政府と多くの人材と機材を抱えて分業と長所への特化を駆使して生産力を上げる大企業群にてマネージメントを執行できる個人は少数先鋭で選ばれるし、その方が意見対立による時間と余力も少なく効率的である。 だが、すべての人間個人にとっては自分の生活環境における政策や労働環境の意志決定に自由に参加していきたいという欲求もあり、一部の少数エリート達だけに自分の未来を託すのも不安である。
その必然的に中央集権化に向かっていく生産力に注目した経済学とは別に浮上している問題に着目した例として、生産力に依存しない新しい経済社会学の分析に用いられる指数が作られた。 それは地球幸福度指数(Happy Planet Index: HPI) と呼ばれ、世界各国の住民個人の幸福度、健康度、そして環境への負荷を表す指数である。 つまり、個人がその生活している国で幸福感を感じ健康で長生きしてかつ豊な自然環境を保ちつつ生活できる環境を提供できるかどうかを示す。
このHPIの度合いはGDPなどに代表される生産力とは相関関連が完全にないとはいえないがそこまで強い関連度は無いとみえる感じである。 比較的に工商業的な生産力の低い国家でも非常に経済が発展した国家よりも高いHPIが算出された。
これは伝統的な工商業的な生産力の指数とこの新しい幸せ感を示す指数とどちらが正しく間違っているという問題ではなく、どちらも経済学と政治学を含む社会科学の分野で重要な指数である。 特に、最貧国と言われ生産力が至極低い国家では低いHPIが算出されている国家も多い。 故に、物質的な恩恵と精神的な恩恵の双方のバランスを取っていくにはこの双方の指数を比較検討していくべきであろう。
また、分権的なデモクラシーの方が集権的なテクノクラシーよりも生産力や物理的な恩恵を上げることが可能であるという理論がある。 テクノクラシーでは淡々と事務処理を続けていく少数のエリート官僚組織は温存の理論に依存しがちである。 それに対して、デモクラシーは、広範囲の管轄と効率的な事務処理に多少劣ることはあるものの、数多の個人から意見を採用することにより置かれている時と場所と状況に応じた政策および温存の理論になかった斬新な政策を提案し執行する可能性を秘めている。
デモクラシーは意見の衝突によって政策執行の効率性は落ちるが、今までの温存の理論が殆どうまくいかない中で数多の可能性のある政策を試し実践することがより可能である。その中で、その数多の意見からの討論と試行錯誤から新たなる政策案や経営案がイノベーションとして生まれる土壌になる。故に、各個人が自ら政治や経営に意見を反映できるということへの精神的な効用を得ると同時に、イノベーションを生み実行しやすい活発な制度の中で起こるイノベーションにより生産力を上げて物理的な恩恵を維持発展することもできるのではないか。
とにかく物理的な恩恵を増加させるためにあえてテクノクラシーを容認してきたが、政治や企業活動が各個人の民意から離れていくと精神的に不満になってくる。 ヨーロッパ連合内で連邦政府の導入による現状の不安定要素の払拭することに抵抗を示している勢力が多いのも、やはり自分たちの民意が政治と経済から遠のいてくるという不満から来ている。 これからこの世界はこのテクノクラシーの必要性とデモクラシーの要求との間で揺れ動いていくであろう。
* この記事を執筆は私の本家HP英語ブログ記事↓を基にしております。
http://art-blue-liberalism.blogspot.com/2015/09/dilemma-between-democracy-and.html
統計学による分析データも↑に乗せております。