阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

前世

2010年07月14日 | 阿部 敏郎
えっ?こんなに長い間書かなかったの?

黒斎くんとは、北海道と沖縄に離れているというのに、なんだかいつも一緒にいるみたな気になっています。



前世からの縁?

それ面白そうだね(^o^)


実は、僕たちは前世で同じ僧院にいたんです。

僕は黒斎くんの兄弟子でした。

あのころ、おなかを減らした黒斎くんに、お饅頭をあげたお返しに、今生では黒斎くんからたくさんのギフトをもらっています。

愛や勇気や・・・な~んてね(^o^)


やっぱり無理無理な話の展開はやめにします。



そもそも、本当に前世ってあると思う?

僕は人生で2回ほど、「あーそういうことか」っていう気づきがあったけど、言葉にしようとするとうまく言えない。

前世って、時間が存在することを前提とした3次元での発想で、過去も未来も思考の産物だという観点に立てば、単なる幻想になってしまう。

なぜ前世という発想が生まれるかといえば、それは我々の存在が永遠不滅のものだということから、きているんじゃないだろうか。


確かに、僕たちの命が永遠の存在であることは、体験的に疑いようがない。

このことは多くの人が感じていることでしょ。


だからと言って、命が永遠だから前世があったとするのは、ちょっと変なんですよ。

そのような考え方は、永遠というものが、すごく長い時間のことだと思っている人のものです。


どんなに長い時間でも、それが長さである以上、いつか終わりが来ます。

終わりが来るようなものは、永遠なんかじゃありません。


永遠とは時間の長さのことじゃないんです。


永遠とは「いま」のこと。


いままでもずっと「いま」だったし、これからもずっと「いま」です。


いま以外に時間はなく、いつも「いま」が永遠にあるだけです。


したがって、永遠とは「いま」のことです。



僕たちの命は身体が消滅してからも残りますが、その命はこの世に一つしかなく、それが無限の形をとりながら、まさに「いま」生まれ滅しています。

そこに連続性はなく、今生においてさえ、継続した自己など存在していません。

だとしたら、なぜ前世などありえましょう。

前世を生きていた「その人ダレですか?」


この人生が夢のようなものだということを見抜けば、前世は昨日見た夢のようなものです。

その夢に、どんな価値があるというのでしょうか。



これが今日の僕の意見です。


こういうことって一言で言い切れない何かが残ってしまうけれど、黒斎クンはどう思う?

このあたりの話題を、交互に語り合うって面白いかも。





またこのブログにエネルギーが戻りますように、応援よろしくお願いします。