秋葉原UDXとダイビルの間の神田明神通りを西へ進むと本郷通りとなり、国道17号線でもあるが、まもなく左に湯島聖堂、右に神田明神が見えてくる。
聖堂は文京区、神田明神は千代田区である。儒学の林羅山が、上野忍ヶ丘の邸内に孔子をたたえて孔子廟をつくり、後に移転されたのがこの湯島だった。
5代将軍綱吉が学問所を開き、現在の東京大、御茶ノ水女子大、筑波大のルーツでもある。
江戸は識字率が高く、ひらがなでは100%であったという。当時のロンドン、パリに比べはるかに高かったのです。
ほんとうに本郷・湯島界隈は昔から、ちょんまげにブックバンド片手のアカデミックなにおいを感じさせます。
(スナップは湯島聖堂の孔子像)
聖堂は文京区、神田明神は千代田区である。儒学の林羅山が、上野忍ヶ丘の邸内に孔子をたたえて孔子廟をつくり、後に移転されたのがこの湯島だった。
5代将軍綱吉が学問所を開き、現在の東京大、御茶ノ水女子大、筑波大のルーツでもある。
江戸は識字率が高く、ひらがなでは100%であったという。当時のロンドン、パリに比べはるかに高かったのです。
ほんとうに本郷・湯島界隈は昔から、ちょんまげにブックバンド片手のアカデミックなにおいを感じさせます。
(スナップは湯島聖堂の孔子像)
横浜も東京と同様に湾岸エリアがもえている。
8月にオープンした「ベイクォーター」をのぞいて見た。
巨艦デパートの横浜そごうとブリッジでつないだショピング街で75店舗。
豪華客船をモチーフにしたそのデッキスタイルのレストランなどは、位置によりベイブリッジやランドマークタワーのみなとみらい(MM21)方面が見渡せる。
事業者は三菱倉庫。飲食店は26店でカフェ系の店が目立ちます。
(スナップはベイクォーターから高さ296mのランドマークタワー方面を望む)
8月にオープンした「ベイクォーター」をのぞいて見た。
巨艦デパートの横浜そごうとブリッジでつないだショピング街で75店舗。
豪華客船をモチーフにしたそのデッキスタイルのレストランなどは、位置によりベイブリッジやランドマークタワーのみなとみらい(MM21)方面が見渡せる。
事業者は三菱倉庫。飲食店は26店でカフェ系の店が目立ちます。
(スナップはベイクォーターから高さ296mのランドマークタワー方面を望む)
三井家総代三井八郎右衛門によって1906年に設立された財団法人三井慈善病院が基になっている「三井記念病院」が、2011年12月の完成めざして、裏庭でクレーン車が始動始めた。
夏は盆踊り会場でしょうか、和泉公園の大広場からのスナップです。右奥のクレーンがタワレジの工事現場です。
夏は盆踊り会場でしょうか、和泉公園の大広場からのスナップです。右奥のクレーンがタワレジの工事現場です。
「ららぽーと豊洲」(江東区)で見聞を広めて来ました。
今月5日にグランドオープンして一段落の人出と思いきや、結構な客足に店子はご満悦でしょう。
天下の三井不動産の再開発手法は住居と商業のエリア一体型で、シーショア・アーバンとでも呼べそうな異色の街づくりを展開している。
残念ながら、晴海大橋のかげでレインボーブリッジは見えないが、衣食住にまつわるショピングはひと通り満たされている。
静岡・伊豆河津町から東京へ初進出の「フードストアあおき」は、規模の大きさ、価格、新鮮さ、ホスピタビリティともに出色の出来と、多くの方はほめたたえるでしょう。アネックス棟の1階にあります。
今後5年間で東京に5店舗を出店予定というから楽しみです。
また、巨大なららぽーと本体の2階に19世紀に英国で製作されたパイプオルガンが設置され、時折演奏される古典的な風音の響きが、込み合う休日になごみを与えていました。
(スナップの右端がららぽーと、見える春海橋の上流は浅草に連なる)
今月5日にグランドオープンして一段落の人出と思いきや、結構な客足に店子はご満悦でしょう。
天下の三井不動産の再開発手法は住居と商業のエリア一体型で、シーショア・アーバンとでも呼べそうな異色の街づくりを展開している。
残念ながら、晴海大橋のかげでレインボーブリッジは見えないが、衣食住にまつわるショピングはひと通り満たされている。
静岡・伊豆河津町から東京へ初進出の「フードストアあおき」は、規模の大きさ、価格、新鮮さ、ホスピタビリティともに出色の出来と、多くの方はほめたたえるでしょう。アネックス棟の1階にあります。
今後5年間で東京に5店舗を出店予定というから楽しみです。
また、巨大なららぽーと本体の2階に19世紀に英国で製作されたパイプオルガンが設置され、時折演奏される古典的な風音の響きが、込み合う休日になごみを与えていました。
(スナップの右端がららぽーと、見える春海橋の上流は浅草に連なる)
Luce Mare(ルーチェ・マーレ)というチャペルが、お台場のホテル日航東京の2F外側で自由の女神像に近いところに新しくお目見えした。
ルーチェは光を表し、マーレは海を意味するラテン語で、すべての生は海から生まれた。
まさしくビーナスの誕生をイメージされたクリスタルチャペルだ。
写真はレインボーブリッジを臨む方向に外から写しました。
参列者のお席は小劇場みたいにスロープになっているし、ここで挙式できるカップルは幸せでしょうね。
ルーチェは光を表し、マーレは海を意味するラテン語で、すべての生は海から生まれた。
まさしくビーナスの誕生をイメージされたクリスタルチャペルだ。
写真はレインボーブリッジを臨む方向に外から写しました。
参列者のお席は小劇場みたいにスロープになっているし、ここで挙式できるカップルは幸せでしょうね。
けさの室温は25度で、湿気も感じられずさわやか。
公園にはトンボが見え季節の変わり目の早さを肌で感じる。
私たちの近所で新築マンションがかれこれ1年以上に渡る工事に区切りをつけ、きょうが内覧会らしい。けさ散歩で入口ロビーに受付があるのが見えた。
熱帯魚の水槽のしっとりムードがちょっとリッチに映っていました。
工事中の真っ盛りには家内は日中も騒音で悩まされ時折グチっていたが、タワレジの周辺でもしばらく耐えられない騒音で近所迷惑になっていると思うといたたまれない心境です。
二長町会の皆様はじめ、いましばらくご理解を承りたいと思います。
公園にはトンボが見え季節の変わり目の早さを肌で感じる。
私たちの近所で新築マンションがかれこれ1年以上に渡る工事に区切りをつけ、きょうが内覧会らしい。けさ散歩で入口ロビーに受付があるのが見えた。
熱帯魚の水槽のしっとりムードがちょっとリッチに映っていました。
工事中の真っ盛りには家内は日中も騒音で悩まされ時折グチっていたが、タワレジの周辺でもしばらく耐えられない騒音で近所迷惑になっていると思うといたたまれない心境です。
二長町会の皆様はじめ、いましばらくご理解を承りたいと思います。
神田須田町に鎮座する神社で裏を神田川が流れています。鉄橋があったり、物流会社があったり、今ひとつ風情に欠ける界隈ではあります。
柳森神社の由緒が書かれています・・・五代将軍綱吉公の御代、江戸城内に福寿いなりと称して創建されました。綱吉公の母が信仰していた福寿神(狸)の像をまつ(祀)る。大奥の御女中衆は、他を抜いて{たぬき} 玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝したといいます。
後世、向柳原の御旗本、瓦林邸内にほこら(祠)を移し明治維新に、現在の柳森神社に統合(合祀)されました。
立身出世、勝負運、金運向上などにご利益があると信奉されております。
柳森神社の由緒が書かれています・・・五代将軍綱吉公の御代、江戸城内に福寿いなりと称して創建されました。綱吉公の母が信仰していた福寿神(狸)の像をまつ(祀)る。大奥の御女中衆は、他を抜いて{たぬき} 玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝したといいます。
後世、向柳原の御旗本、瓦林邸内にほこら(祠)を移し明治維新に、現在の柳森神社に統合(合祀)されました。
立身出世、勝負運、金運向上などにご利益があると信奉されております。
千代田線湯島駅から数分で、湯島天神にたどり着けます。
私は、家内と雲が重厚に垂れ込めた休日、不忍池からテクテク足を弾ませました。梅のシーズンではないのに、そこはかとなく華やかな“気”を漂わせるおだやかな雰囲気でした。
「天神信仰」とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいますが、ここは道真公を奉って学問の神様です。合格祈願の絵馬がたわわに架けられていました。
かつて大阪に転勤していた際、天神祭りと称して大川(淀川)に多くの船が行き交う大きな夏祭りがあり、菅原道真公が同様に祀られていたのを思い出します。
湯島天神のホームページに、天神様と牛・梅との関わりが記されていますが、境内には、数々の梅の木が植え込まれ、扉にすばらしい彫刻が施されているのを見つけて、文京区は春日通りの切通坂に花咲かせる歴史に、ほのぼのとした共感を覚えたのです。
(スナップは扉の木彫り飾り)
明治29年東京下谷区茅町(現在の台東区池之端)に、英国人ジョサイア・コンドルによって建てられた洋風建築の館、旧岩崎邸(右のブックマーク「ぶらり重兵衛の歴史探訪」から)を拝見しました。
昭和36年に重要文化財に指定されています。
この地は江戸期に越後高田藩・榊原氏、明治初期は旧舞鶴藩・牧野氏などの屋敷であったことで、大名庭園の名残があるそうです。
少ない調度品の展示の中に洋館にふさわしいバカラの特注グラスがあり、トイレの便器にロイヤル・ドルトンのロゴが見られたり、品位のエッセンスが感じられます。和室、洋室のハーモニックは和魂洋才の知恵の賜物でしょうか。
いつか、時間が合えば、ミニ室内コンサートの時に、ゆっくり邸宅の響きを味わいたい思いで後にしました。
昭和36年に重要文化財に指定されています。
この地は江戸期に越後高田藩・榊原氏、明治初期は旧舞鶴藩・牧野氏などの屋敷であったことで、大名庭園の名残があるそうです。
少ない調度品の展示の中に洋館にふさわしいバカラの特注グラスがあり、トイレの便器にロイヤル・ドルトンのロゴが見られたり、品位のエッセンスが感じられます。和室、洋室のハーモニックは和魂洋才の知恵の賜物でしょうか。
いつか、時間が合えば、ミニ室内コンサートの時に、ゆっくり邸宅の響きを味わいたい思いで後にしました。