ブログ随筆「ちょっと、散歩へ」

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「また漫画」

2016年02月20日 08時00分00秒 | 読書
句会の部屋の予約で公民館に行った序に、図書館を覗いてみたら、雑誌『サライ』(小学館)で「漫画特集」を組んでいた。タイトルが〈みんな「漫画」で大きくなった〉。思わず(そうだ、そうだ)と心で呟きながら拾い読みしてしまった。昭和27、8年から30年代まで夢中になっていた時代がある。丁度、小学4、5年から中学を卒業するまでか。通信簿にも「漫画の読み過ぎ」と書かれた程。吉 幾三の「テレビも無ェ ラジオも無ェ」の唄じゃないが、更に〈電気も無ェ〉の環境だった。

勢い娯楽と云えば漫画を読む位である。偶々、父親が月刊誌の購買を1冊許可してくれたので、『少年』(光文社)を買った。そこには手塚治虫の『鉄腕アトム』が連載していた。学友の『冒険王』(こちらのメインは福井英一の『イガグリくん』)と交換し合うなど、月に2、3誌は読んでいたように記憶する。これでは通信簿に書かれるのも無理はない。まだ、「漫画は毒」の風潮があったのかも知れない。現実にはそのまま漫画ばかりを読んでいた訳でもなく、高校の頃には結構、文学物も読んだ。

結局、漫画は活字への目を開いてくれたようで、併せてその後の画像(映画)への興味を持たせてくれた。PTA的に「悪書追放」などと熱くならないでも、子どもは育って行くものである。ただ、私の場合は「漫画」からの卒業はなかったようである。大人の漫画には全く興味がなかったが、『少年サンデー、同マガジン』などは青年期にも見ていた。悪いこと? に当時のアルバイト先が書店だったものだから、それらは読み放題だったのである。大学を出るまでその状態は続いた。

今、本棚にはかつて触れたように、手塚作品を中心にそこそこ並んでいる。石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』(中央公論)なども全48巻が埃を被っている。押入れには白土三平の『カムイ伝・外伝』(小学館)も38巻横たわっている。これなどはつい7、8年前に買ったものである。奇矯と云えば云えよう。が、未だにあの少年の頃に読んだ『イガグリ』、『アトム』、『山から来た河童』(馬場のぼる)に思いを馳せると、老体の血が騒ぐのである。連れ合いに〈断捨離〉などと云われても、とてものこと捨て難い。



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