ブログ随筆「ちょっと、散歩へ」

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「麦踏み」

2016年03月06日 10時52分35秒 | 日記
一気に春めいて来て、荒川河川敷の麦も青さを増した(写真)。この畑の上方にパークゴルフ(PG)場があるが、プレイの合間に見ていると、今どきは機械で〈麦踏み〉をするのには驚いた。合理的だが何となく味わいが無い。子供の頃、晩秋に麦踏みをしたものである。勿論、大人がやっていることの真似に過ぎないが、霜柱に浮き上がった根元を踏み固めて行く作業は、結構、楽しかった。霜柱の崩れる音が靴の下で鳴る。遠くの山は雪で真っ白である。

雪はやがて里山にも届き、初雪となり、何回か消えては積りを繰り返しながら、遂にある夜(とも限らないが)、シンシンと降り続き、それが根雪となる。田畑が雪に覆われれば農家は一段落である。若手は出稼ぎに出、年配者は藁仕事などで長い冬を過ごす。昔の我が家にも「稲藁編み機」があった。左右から稲柄を差し込むと巧みに捩じり込んで編んで行く。今、この〈藁〉が刈入れの機械化で砕かれて無くなり、縄が手に入りにくくなった。現に我が町内では夏祭りでも街灯の注連縄が消えた。

雪国でも彼岸の頃から春の兆しは本格的になる。日射しは秋冬の鋭角さが鈍り、物の輪郭が心なし滲む。〈春は朧〉である。屋根の雪解けが頻りに雨樋から滴り落ちる。戸越しの陽は充分に暖かく、猫もそこを好んで丸くなる。雑木林の木々の根元の雪が丸く消えて、サークルが出来上がる。地面に日が当たり始めれば雪解けはどんどん進むが、なかなかスムーズには行かないもので、根雪になる過程と同じように、何度かの〈凍て返し〉を繰り返しをしながら、自然は変容する。

そして、里では晴れていながら雪が舞うと云う、〈風花〉などに見舞われながらも、斑に雪の消えた畑には麦が成長し這い上がる。湿り気を帯びた土の黒さと麦の青さが際立つ。思わず中学国語にあった島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を想い出す。〈あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し…〉。日本文学の誇り? の古文調が美しい。一面の麦に何となく元気を貰ったような気分で、また、PG遊びに立ち戻るのである。


2 コメント

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麦踏み (北のミミ)
2016-03-08 17:56:25
麦踏み…思い出しました。戦時中埼玉の農家に疎開していて子供ながらに麦踏みを経験しました。冷たい風の吹きざらの中、おじいさんと並んで綿入れのはんてんの懐に手を入て小刻みに踏踏んでいく、「踏みつける」と言うことが不思議でした。履き物は草履だったか運動靴だったか?寒かったけど都会では味わえない面白い体験でした。雪国の冬から春の息吹を感じる頃、自然の力強さと美しさを感じますね。
北のミミさんへ (吹上no太郎)
2016-03-08 21:48:27
「麦踏み」は私の田舎では晩秋だったような気がしますが、普通は早春ですね。確か「人間も多少踏みつけられて、まともに成長する」などと、云われたものです。本当かどうか?

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