ブログ随筆「ちょっと、散歩へ」

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「80歳前後」

2021年08月21日 11時44分29秒 | 日記
コロナ禍下の「80歳目前」は余り嬉しくもない。15歳で出郷したが、その時、父は60歳、母は56歳だった。既に老人の雰囲気だったような気がする。80代の友人らが「80になると全然身体が利かなくなる」と嚇かすが、今のところ、余りその自覚はない。ただ、これまで自転車ですいすい登っていた坂道が、やや息が切れ始めたか…。幾らでも頑張れるという体力の自信は、確かに無くなった。しかし、それが普通だろうと思えば腹も立たない。

以前は、このブログも4、5日置きに更新していたが、種が尽きた事もあって、不定期に移行したら、人間、楽な方に流れるには努力は要らず、すぐに怠惰? の日常に馴れて仕舞った。俳句、短歌、川柳も課題などが設定されれば楽だが、自由句となると案外、作るのが容易ではない。創作力(脳)も枯渇して仕舞ったようである。その中では、何の彼のと捻れる短歌が今のところ、やや適しているか。ただ、マンネリの延長のようなものではある。

実感としては、〈茫茫〉としている内に80歳を迎えるー、という感じである。青年の頃の焼け付くような焦燥感も既に無く、ただ、流れに身を置いているだけの日々の何と長いことか。もはや明確に「何かをやろう」という気力も無い。平穏無事にエンディング出来れば…、というのが現実である。特に昨今は〈皆、コロナの所為にする〉で、出来ない事の矛先をコロナに被せて怠けている。恐らく、多くの高齢者の晩年も大きく計算違いをしたろう。

不思議なもので、人間の寿命に比例してと云うのか、身の周りの家電類が次々と駄目になる。冷蔵庫、掃除機、電気釜と立て続けに故障買い替えとなり、洗濯機も連れ合いは「時間の問題だ」と嚇かす。そうしている内に今度は「ガスコンロの火が付きにくい」と云い出す。いずれも15年、20年の使用年数なのだから、そう文句も云えない。それにしても今後の人間の命が不確かなのに、家電ばかりが真新しく並ぶ光景も奇怪ではある。

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