産経新聞より。
東日本大震災前後のメールには多くの思いが詰まっている。
埼玉県草加市の村山恵美子さん(66)の「消せないメール」は、宮城県東松島市に嫁いだ娘の友野道代さんから携帯電話で送られたものだ。
道代さんは当時妊娠7カ月。
同市を襲った津波で亡くなった。
その内容からは、震災前の平成23年3月9、10日に起きた地震について
「大丈夫だよ」
など母を心配させまいという道代さんの心遣いが感じられる。
そして11日。震災発生直前まで道代さんの長男、陽貴(はるき)君や生まれてくる赤ちゃんの話で埋め尽くされている。
<3/9 14:45 大丈夫だよ~!! 津波注意報も出ているけど、多分被害は出ないと思うよ 今日の陽貴はお弁当持って、一日保育にいってるんだよ、3時頃には帰ってくるよ(略)>
<3/9 16:02 陽貴、笑って帰ってきたよ(略)>
<3/10 8:40 余震は何度もあるけど大丈夫。昨日の夕方から雪が降って、今朝は天気はいいけど、積もっているよ(略)>
<3/11 9:11 陽貴の入園式は4月11日だよ。月曜日だから、夫婦で出席する予定、平日だから多分夫婦でくるとこは少ないと思うけどね、それにしても(注=おなかの子の)胎動がすごいんだよ、パンチやキックが強い、強い(略)>
<3/11 12:32 (略)卵焼を作ったよ、陽貴「おいしぃー」と言ってくれたからうれしい、今度はゆで卵に挑戦だ。>
<3/11 13:04 (略)いつ草加に行けるかは未定です。でも、パンダは逃げないしいつか見に行こうね(注=一段落したら家族で上野動物園などに遊びに行こうという村山さんのメールを受けて)>
これが最後のメールだった。
1時間42分後、東日本大震災発生。
道代さんは指定避難所の野蒜(のびる)小学校の体育館に義父母と長男と避難したが、津波に襲われた。
36歳。18年に結婚、2人目の子を宿し、
「幸せの絶頂だったのに」
と村山さんは話す。
14日朝、娘の夫、博之さんの友人から道代さんの訃報を受け、16日朝に道代さんと対面した。
眠るような穏やかな表情だった。悲しく、やるせない日々が続いたが、助かった陽貴くんに
「ボクはもう泣かないよ、だからおばあちゃんも泣かないで」
と励まされた。
あの日から2年。陽貴君は今年から小学生だ。
「この携帯電話は一生持っていようと思います。会いたくなったときにこのメールを見直すんです。私の宝物です」
と村山さんは携帯電話に目を移した。
悲しいお話です。生きたくても生きられなかった人たちを思うと胸が締め付けられます。震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
東日本大震災前後のメールには多くの思いが詰まっている。
埼玉県草加市の村山恵美子さん(66)の「消せないメール」は、宮城県東松島市に嫁いだ娘の友野道代さんから携帯電話で送られたものだ。
道代さんは当時妊娠7カ月。
同市を襲った津波で亡くなった。
その内容からは、震災前の平成23年3月9、10日に起きた地震について
「大丈夫だよ」
など母を心配させまいという道代さんの心遣いが感じられる。
そして11日。震災発生直前まで道代さんの長男、陽貴(はるき)君や生まれてくる赤ちゃんの話で埋め尽くされている。
<3/9 14:45 大丈夫だよ~!! 津波注意報も出ているけど、多分被害は出ないと思うよ 今日の陽貴はお弁当持って、一日保育にいってるんだよ、3時頃には帰ってくるよ(略)>
<3/9 16:02 陽貴、笑って帰ってきたよ(略)>
<3/10 8:40 余震は何度もあるけど大丈夫。昨日の夕方から雪が降って、今朝は天気はいいけど、積もっているよ(略)>
<3/11 9:11 陽貴の入園式は4月11日だよ。月曜日だから、夫婦で出席する予定、平日だから多分夫婦でくるとこは少ないと思うけどね、それにしても(注=おなかの子の)胎動がすごいんだよ、パンチやキックが強い、強い(略)>
<3/11 12:32 (略)卵焼を作ったよ、陽貴「おいしぃー」と言ってくれたからうれしい、今度はゆで卵に挑戦だ。>
<3/11 13:04 (略)いつ草加に行けるかは未定です。でも、パンダは逃げないしいつか見に行こうね(注=一段落したら家族で上野動物園などに遊びに行こうという村山さんのメールを受けて)>
これが最後のメールだった。
1時間42分後、東日本大震災発生。
道代さんは指定避難所の野蒜(のびる)小学校の体育館に義父母と長男と避難したが、津波に襲われた。
36歳。18年に結婚、2人目の子を宿し、
「幸せの絶頂だったのに」
と村山さんは話す。
14日朝、娘の夫、博之さんの友人から道代さんの訃報を受け、16日朝に道代さんと対面した。
眠るような穏やかな表情だった。悲しく、やるせない日々が続いたが、助かった陽貴くんに
「ボクはもう泣かないよ、だからおばあちゃんも泣かないで」
と励まされた。
あの日から2年。陽貴君は今年から小学生だ。
「この携帯電話は一生持っていようと思います。会いたくなったときにこのメールを見直すんです。私の宝物です」
と村山さんは携帯電話に目を移した。
悲しいお話です。生きたくても生きられなかった人たちを思うと胸が締め付けられます。震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
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