「あの頃の名古屋フォーク界 其の参」
名古屋を代表するフォークグループで全国区になったのがチェリッシュ。
デビュー曲が『なのにあなたは京都へゆくの』
♪私の髪に 口づけをして
「かわいいやつ」と 私に言った
なのにあなたは京都へゆくの
京都の町は それほどいいの
この私の 愛よりも
初期のメンバーは5人。
松崎好孝 さんを中心に松井悦子さん、奥山敬造(ギター)さん(現・奥山圭三)
藤田哲朗(ベース)さん、桑原宏司さん(ドラムス)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9b/1014850310621792477b99af98c18a1c.jpg)
この歌も深夜放送から流れてヒットした。
当時、東海ラジオだったか、CBCラジオだったか忘れたけど
全国放送の番組で、各地区のヒット曲のベスト10を発表するコーナーがあった。
北海道、東北、関東、東海、関西、中国・四国、九州地区の
各アナウンサーが毎週、その地区のベスト10を発表していた。
おもしろい事に東海地区以外は、チェリッシュの名前すら出なかったのに
東海地区だけは、チェリッシュの『なのにあなたは京都へゆくの』が
1位と何週間か続いていた。
やはり、東海地区の人は地元愛が強かったのか。
地元の人を応援しようとしていたのかな・・・。
予想以上に売れたとラジオで聞いたことがある。
しかし、奥山敬造さん、藤田哲朗さん、桑原宏司さんが脱退。
奥山敬造さんと桑原宏司さんは、昨日紹介した欲求不満フォークソングボーイズへ。
2曲目の「だから私は北国へ」は新たなメンバーを加え再出発。
しかしそのメンバーも脱退。
3曲目の「ひまわりの小径」からデュエットで再々スタート。
どちらかというと歌謡曲ぽくなってしまった。
チェリッシュも地元ラジオ局の公開番組にも出演していた。
だから何回か観に行った覚えがある。
あの頃の音楽の情報はやはりラジオだった。
ラジオから流れる音楽はテレビと違って新鮮だった。
そして地域密着で地元のシンガーやグループを応援していたと思う。
だから名古屋のフォーク界も盛り上がっていったのだろう。
楽しみにしてますよっ!。
あの頃、肌で感じたのは、大阪、博多などは誰か新人がデビューすると、ミュージシャン仲間が一斉に後押しをして前に苗に押し出してたと感じられました。
ところが名古屋はミュージシャン同士が潰し合っていた様な感じがしました。(個人的ですが)。
悲しいけれど・・・・・。
土地がらなんだろうかな〜・・・・。
CD送って置きました・・・・。
勿論、四代目さんの手元に置いてやって下さい。
先日、店主さんが圭三バンドを紹介されていて
それに刺激されちょっと書いてみようかなと思いました。
もう40年以上もまえの話しを自分の記憶で書いてますので間違いもあるかもしれません。
でも、名古屋のフォーク界は店主さんの方が絶対詳しいと思いますよ。
だって宮地ゆきおさんとつながりをもっていたんだから・・・。
2週間ぐらい前に東海ラジオでアクエリアスの
「手を打ちながら走れ」がかかっていました。
アクエリアスの想いをぜひ書いてくださいよ。
どんな想いか楽しみにしています。
追記
先ほど、宅配便の方がCDを届けてくれました。
この場をかりてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
明日、じっくりと聴きます。
私もよく聞いていました。
でも意味が分からなかったんです。
要するにこんなに愛し合ってるのにどうしてあなただけ京都へ行くの?ってことなんやろか?って。
関西に住んでると、すぐに京都へ行けるため、あまり京都の値打ちがよく分からなかったためですね。
ただ、二人で行けばいいやん?とか進学?転勤?のためか?とか謎は考えれば考えるほど深まるばかりです。
名古屋から京都、新幹線ですぐやし。在来線でも十分行けるやんとか。
京都は小学校の修学旅行だった。
あの頃、京都は遠い遠い街だと思っていました。
そして意味もよく分からず聴いていました。
でも今は名古屋から新幹線で約45分。
なぜ京都に行ったのだろう。
そういうことを考えるとhirorinさんのおっしゃる通り
謎ですね。
最近は1年に1回は京都に行っている。
今年は行けれるかな・・・?