![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/3a/c2e5f7d3db949e1bd0e5968d2251736f.jpg)
(見出し画像は旧楠本正隆屋敷)
前回と違い、今回は地図も拡大コピーし郷土史も読み下準備をしました。
岩松駅に車を駐車して34号線を横切り、長崎街道に入ります。すると田畑が広がり国道沿いの喧騒が嘘みたいに静か、家々の庭から満開になった梅の香りが漂ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/b482fdbe4dd0f0e21f7ed6245ededf4f.jpg)
亀山坂辺りまではのんびりとした田園風景が広がっていて、風情を残すために小高い丘を周遊する配慮が察せられ好ましく感じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a3/c8e6aff824dbe0aaccd097f3c452e94e.jpg)
野田神社は藩主大村純長が創建。街道を往還する人々にとって楠が生い茂る境内は良い休憩場所になっていたのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/59/66f24240838bf3f3a7084b2e97deb151.jpg)
大村藩に疱瘡(ほうそう)収容所をひらき藩内に牛痘法をひろめた長与俊達 (ながよしゅんたつ)。彼は天然痘の根絶に努め66歳で亡くなっています。江戸時代に人々が最も怖れた疱瘡は1849年に出島オランダ商館に牛痘法がもたらされることによって終息を迎えます。種痘法が江戸まで伝達されたのはこの街道からだったと思うと感慨深くあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/db/9b343c67e9ba6324223a4e0d6fde79b7.jpg)
街道を左手に入り武家屋敷街へ~。花菖蒲や桜で有名な大村公園は知っていましたが、34号線の反対側に城下町の面影を残した石垣や白壁が伝う街並みがあるとは!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/ab/11c6794f44a5e4560aa45e9fc9b8eb95.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b4/c33a5e11d1df879bfd87f085037cbd57.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b7/e2a0bf27646d72bb7ebae39851f3f874.jpg)
末裔と思しき住人の姿が広大な敷地内に時折り見られます。異空間に入り込んだような面持ちー。
こけてしまうようなユニークな看板は面白い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/64/9fae23bc0a5c0c740670a86638d15322.jpg)
最初に覗いた旧楠本正隆屋敷。管理人さんに快く迎えてもらい、熱心な説明を受け、底冷えする寒さも時が経つのも忘れてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ae/4d60f2da3793a65b37fc9c0082d7480e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/bc/a1c4d6f01d398738de1294076261bdd9.jpg)
詳しくは次回へ~。
前回と違い、今回は地図も拡大コピーし郷土史も読み下準備をしました。
岩松駅に車を駐車して34号線を横切り、長崎街道に入ります。すると田畑が広がり国道沿いの喧騒が嘘みたいに静か、家々の庭から満開になった梅の香りが漂ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e3/b482fdbe4dd0f0e21f7ed6245ededf4f.jpg)
亀山坂辺りまではのんびりとした田園風景が広がっていて、風情を残すために小高い丘を周遊する配慮が察せられ好ましく感じます。
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野田神社は藩主大村純長が創建。街道を往還する人々にとって楠が生い茂る境内は良い休憩場所になっていたのでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/59/66f24240838bf3f3a7084b2e97deb151.jpg)
大村藩に疱瘡(ほうそう)収容所をひらき藩内に牛痘法をひろめた長与俊達 (ながよしゅんたつ)。彼は天然痘の根絶に努め66歳で亡くなっています。江戸時代に人々が最も怖れた疱瘡は1849年に出島オランダ商館に牛痘法がもたらされることによって終息を迎えます。種痘法が江戸まで伝達されたのはこの街道からだったと思うと感慨深くあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/db/9b343c67e9ba6324223a4e0d6fde79b7.jpg)
街道を左手に入り武家屋敷街へ~。花菖蒲や桜で有名な大村公園は知っていましたが、34号線の反対側に城下町の面影を残した石垣や白壁が伝う街並みがあるとは!
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末裔と思しき住人の姿が広大な敷地内に時折り見られます。異空間に入り込んだような面持ちー。
こけてしまうようなユニークな看板は面白い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/64/9fae23bc0a5c0c740670a86638d15322.jpg)
最初に覗いた旧楠本正隆屋敷。管理人さんに快く迎えてもらい、熱心な説明を受け、底冷えする寒さも時が経つのも忘れてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ae/4d60f2da3793a65b37fc9c0082d7480e.jpg)
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詳しくは次回へ~。
街道歩きをされているのですね
私も以前はあまり興味がなかったのですが
年末に山口に行って、「萩往還」を歩いてから少しだけ興味が出てきました
近くの街道跡を少しずつ歩いていますが
まだロングは躊躇しています(はい)
山とは違った人や街並み、歴史が感じられる新鮮さがありますね。
佐賀に到達できるのは何時頃でしょうか?
ゆっくり味わいながら、並行して歩けたらと思っています。