桃とかなへび

いらっしゃいませ。

お盆

2024年08月21日 | 日常
父の初盆で実家に帰った。
私は13日の午後に着いてレンタカーを借りる。母の病院、スーパーで買い物、お墓と家で迎え火。福助が夜到着するのでホテルに戻って、一緒にファミレスで晩御飯。狙っていた居酒屋は予約で満席だった、残念。
次の日に息子も到着、お参りの人の応対や、私は予約していたケアマネさんや包括支援センターの方と面談して、市役所にも行った。夜は母の誕生日をイタリアンレストランでお祝い。
15日はお寺さんが来て読経していただいた。なんとこの辺りは送り火が15日で、夕方に送り火、慌しいことだ。
16日はお土産買いに行ったり、お花代の請求書や返礼品の支払いのあれこれなど。15時にレンタカーを返さなければならなかったので、14時半頃実家を辞した。
母はタクシー代出すから戻って来いと言ったが、もうへとへとなので断った。母は不満そう。

そもそも、お盆は亡くなった人を偲ぶものではないのか? 父の思い出話などまるでできなかった。母は父の悪口を言いたくてたまらないのに、福助と息子がいるので、さすがに自重。何を言ってもかまわないゴミ箱娘がひとりにならないから、イライラしていたのだろう。
母は、養父母も父も恨んでいるので、仏壇のお供えがいつも貧しい。私が帰省してお供えしても、すぐに下げて自分で食べてしまう。お盆は沢山の品物や御花で華やいでいた。それらを16日にはさっさと解体し始めた。さすがに日曜日くらいまでは飾っておこうよ、とそのままにしてもらったが、おそらく私たちがいなくなるとすぐに撤収するだろう。蘭やカラーの生花もすぐに枯らしてしまうだろう。

私は精一杯働いた。
父がやっていた細かいこと、母は何一つ自分でできないのに文句ばかり。
運転も手続きも私がしたが、父の悪口を聞かない娘に意味はない。
自分がコントロールして働かせているつもりだろうか。実家を出る前の母の言葉は「もう用事はなかったかな」。
自宅に戻った私への母からの電話は、慇懃無礼の最大級、わざとらしい棒読みの感謝の言葉。あきらかに腹は煮えたぎっている。電話なら私にしか聞こえないと思っている。

もうたくさん。
なんで私は男に生まれなかったのだろう。
げっそりしていたら福助が、365日分の数日のことだ、と慰めてくれた。
そうだな。囚われるのはバカバカしい。

私は親のために、お金も年休も時間も沢山使って毎月帰省してがんばった。合奏だって諦めた。
いろいろな手続きは、今できることは全て終わり、ケアの道筋もついた。母も初盆まではとあれこれ気にしていたが、それらも無事終わったではないか。
3ヶ月後の一周忌まで、実家には帰らない。

物理的に離れる距離の有難さ。
いてくれるだけでどれだけ助けられたかわからない、朗らかな福助と息子に感謝感謝。本当にありがとう。
さあ、自分の生活に戻ろう。
こちらもまた、忙しい。


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