江戸川教育文化センター

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「踏ん張って憲法を守らなきゃ」 三木睦子さんの言葉

2024-02-04 | 随想
2/3付東京新聞の24面に三木睦子さんのインタビュー記事が掲載されていました。これは2004年8月13日の夕刊記事の再掲載です。






睦子さんの夫は元首相の三木武夫さんであることは言うまでもありません。
(武夫さんは1988年11月14日に81歳で、睦子さんは2012年7がつ31日に95歳でお亡くなりになりました。)

睦子さんは1940年に武夫さんと結婚して「夫を支えるとともに、リベラルな立場から政治活動に取り組んだ(日経新聞より)」と言われていますが、私があらためて睦子さんに名を知ったのは2004年に「九条の会」の呼びかけ人の一人になった時です。
因みに「九条の会」呼びかけ人9人とは、井上ひさしさん、梅原猛さん、大江健三郎さん、奥平康弘さん、小田実さん、加藤周一さん、澤地久枝さん、鶴見俊輔さんと三木睦子さんです。
澤地久枝さん以外の8人の方は既にお亡くなりになられています。
あれから20年、時の流れは、本当に早いものです…。

ところで、このインタビューの中で睦子さんは憲法と三木武夫元首相について次のように述べています。
「なんで自民党みたいなところにいるのよ」って聞いたら、「もし僕が一歩たじろいで自民党を辞めたら、自民党は憲法を改正するって言うよ。だって党是の最初に憲法改正をうたっているんだよ。だから僕はあえてその仲間に入って、中から阻止するために自民党にいるんだ」と話していたそうです。

こんな人物だったから、ハト派の首相と言われていたのでしょうね。

また、記者の次の質問(国連の平和維持活動)にも武力による活動を明確に否定しています。
すなわち、「国連の平和維持活動は重武装で平和をつくる方向です。国連中心主義をとる日本は、そこでも平和憲法との矛盾をきたす可能性があります」という質問に対して、「『うちは鉄砲を担ぎません』って言えばいい。『鉄砲の代わりにシャベルを持って、災害の救援に行きます』とすればいい。災害復旧というのは、市民にとって一番大事だし、ありがたいことだと思いますよ(後略)。」と述べています。

この質問は、日本国憲法の一つの本質をふまえた素晴らしい質問だったと思います。
また、睦子さんも動じることなく鉄砲とシャベルに例えて答えるあたりは、実にほんものの平和主義者だと思いました。

このインタビューは、まさに自衛隊がイラクに派遣された時期のことです。
自民党お得意の国会審議抜きの閣議決定による自衛隊派遣でした。
つまり、国連第一主義をとる日本は、国連の平和維持活動(PKO)にも積極的に参加し、場合によっては国連平和維持軍(PKF)にも自衛隊を参加させる方針を貫いてきました。

一見、当然だとする見方もできそうな構図ですが、それはあくまでも国家の軍隊を持つ国の話であって、日本国憲法の第2章戦争の放棄 第9条において認められてはいません。
だからこそ、自民党をはじめ改憲論者たちは9条を変えたくて仕方ないのです。

自衛隊の現状を見てみると、その維持する装備や武器弾薬(戦力)の規模は既に軍隊としての規模を十分に備えています。
戦後の数々の平和運動においても、自衛隊の存在が問題とされてきましたが、自衛のための必要最小限の戦力は認められるべきだという論理がまかり通ってきました。
そうしたやりとりを繰り返しつつ次第に自衛隊の戦力は拡大していったのです。

実態が理念を変えてしまったとも言えます。
象徴的なのが社会党の村山富市さんが首相になった「自社さ」連立政権の時に、村山氏は「自衛隊は憲法が認めるものだ」と答弁しました。
細かな思いは、また別にあったのかもしれませんが、「自衛隊合憲」が一人歩きを始めてしまったのです。

その後は「専守防衛」を語りつつもその三原則(武力攻撃を受けた時のみに行使、行使の態様は自衛のための最小限、保持する防衛力も最小限)はなし崩されていきます。

したがって、睦子さんは、国会の論議も経ずにイラクへの自衛隊派遣が決められてしまったことに驚くわけです。
百歩譲っても専守防衛による武力行使の域を遥かに超えた海外派遣だったからです。
たしかこの時の首相は小泉純一郎さんでしたが、彼は「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と欺瞞的な答弁をしました。
結局、イラクに大量破壊兵器は発見されず、日本国はただ単にアメリカ政府の言うがままに追随していたことが明らかになるわけです。

このように歴代自民党内閣(途中から公明党が協力)は、自衛隊を軍隊化するためにアメリカとも連携しながら進んできたのですが、やはりその実態は憲法上の規定を超えていることに自らも気付いているために憲法9条を変えようとしてきたわけです。

睦子さんは、そんな自民党内にとどまる武夫氏を訝り「なんで自民党みたいなところにいるのよ」と問うわけですが、これにより武夫氏の本音が引き出されたのです。
「う〜む、中から阻止する…、首相の座にある時限定かな…」なんて、私は思ってしまいますが、彼は本気で務めていたのでしょうね…。
こんな自民党首相は他には現れませんでしたが、自民党リベラルの流れはたしかに存在したのだと思います。
三木氏は番長政策研究所という政策研究会(派閥)を設立し三木派と称されるまでになりますが、その後は志公会に合流して実質上は消えていきました。
今では、解散に踏み切った宏池会もハト派と言われていましたが、現首相岸田文雄がそのリーダーであることからしてもう何を言わんかの世界です。

ダラダラ述べてきましたが、要は単純なことです。
三木睦子さんがおっしゃりたいことは…。
憲法(とりわけ第9条)を守ることに力を尽くせということです。

私個人としては、第一章は改正する必要性を感じていますが、今はまず9条に合うように実態を変えていく努力が必要だと思います。
多くの識者や市民の知恵を結集して、自衛隊を二度と戦争を引き起こさないような組織に変えていくことです。
今回の能登半島地震でも、自衛隊の活動による活動は救援や復興に大きな力を発揮しています。
こうしたノウハウや実績こ尊敬に値すべきものです。

睦子さんの言われるように「鉄砲の代わりにシャベル」こそ人々が求めるものに違いありません。

今日、あらためて20年前の東京新聞記事を読ませていただき感謝です。


(2024/2/3節分の日に)




<すばる>




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