江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

大人も子どもも民主主義を学ぼう!(2)― ドイツの政治教育 ―

2024-07-09 | 随想
選挙の投票率だけで民主主義の成熟度は測れるわけではないが、重要な指標であることに違いはない。
因みに、2021年のドイツ連邦議会選挙の投票率は76.60%であり、同年に行なわれた日本の衆議院選挙の55.93%を遥かに上回っている。
尚、この際の10代の投票率は定かではないが、例年から累積すると少なくとも70%は超えていると思われる。

大雑把に言うなら、若者だけで比較しても7割対3割でドイツが日本を圧倒しているわけだ。
何故、これほどまでの差が出るかは、偏に教育の違いではないかと思う。


戦後ドイツの教育は、民主的と言われたかつてのワイマール憲法下で生まれたナチス政治への反省に立っている。
さらに加えるなら、旧ソ連や東ドイツの政治体制(「共産主義」)にも反対し、戦後民主主義の価値観を守り発展させるために始められた「政治教育」を重要視している。

したがって、戦後民主主義があっという間に崩壊し、「逆コース」化をたどった日本とは全く異なる風土の下に教育がなされているのだ。


ドイツでは、1964年に連邦内務省に、主権者教育を担う「連邦政治教育センター」が設けられ各州ごとに運営されているが、次の3点は共通している。

①市民に対して政治とは何かを伝える
②市民に民主主義を促す
③市民に政治参加することや参加することへの興味を促す

これらの理念は単に教育が学校に限ったものではないことを表している。
そして、センターには教育で使用する教材等の資料も完備されているという。

しかし、学校教育の中で行うということから、政府は運用の基準を定めている。
それは、特定の政党に偏らない「政治的中立性」の担保という点である。
この観点が学校教育で極めて重要視され、必要以上に圧力をかけてきたのが日本の教育であるが、この点については、あらためて述べたい。

ドイツで学校で行う政治教育において、守らなければならない3つの原則を1976年に決めた。
いわば中立性の根拠ともいうべきものだ。

① 教員は生徒の期待される見解を持って圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない。(圧倒の禁止)
② 学問と政治の世界において論争があることは、授業の中でも論争があるものとして扱わなければならない。(対立する立場の尊重)
③ 生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得が促されなければならない。(政治参加の能力育成)


これだけでは具体性に欠けると思われるので、さらに付け加えるならば、以下のようなことだ。
生徒たちに自分の政治的意見を持つように指導する際、教員自体が「では、先生はどういう考えですか?」と生徒に問われて答えないわけにはいかない。
そこで、教員自身の政治信条に基づく主張をするわけだ。
これは、政治教育の在り方としても認められている。
ただし、教員が自分の意見を述べる際は、他にも色々な主張があることも併せて述べなければならないことになっている。
これが、いわば「政治的中立性」を担保したことになる。

日本のように「先生は特定の政党の主張をしてはならない」などというケチな言いがかりは付けられない。

つまり、教員も生徒も自分の意見を持ちつつも、他の意見にも論理があることを理解しなければならない。
そして、互いの意見の違いを認め尊重し合うことが大切だとされている。

こうした教育が日常的に行われていれば、きっちり論争もできるし、選挙時に自分の一票も自信をもって投票できることだろう。


(つづく)



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