真鹿子の真鹿不思議歩記

真鹿子は真鹿子であると同時に馬鹿子!馬鹿子で無くなると真鹿子で無くなる生粋の真鹿馬鹿子であり!永遠に真鹿馬鹿子!&野生人

金色の夕陽かなでる龍の笛

2010-07-18 13:57:11 | 日記
『金色[コンジキ]の夕陽かなでる龍の笛』(真鹿子)





金色夕陽に誘われて、いつのまにかポートアイランドの西海岸を訪れていて、写真を撮らせて頂いていると、





なんと古雅楽の龍笛[リュウテキ]の妙なる調べが響いてきた。ところがなんの違和感もなく、ごく自然に、龍笛の妙なる音色を発する金色の龍が、染み入るように私の中に入ってきて、私という小さな宇宙を、気持ち良さそうに飛翔している。そして、私のこの小さな宇宙と溶け合うように重なっている、この大いなる宇宙をも、当然のごとく、自由自在に飛翔している。この大いなる宇宙と、小さな私という宇宙を、行き来しているというのではなく、全く自然に、差異なく飛翔している金色の龍!この大いなる宇宙=梵と、小さな私という宇宙=我は、別々のものではなく、一体、一如である、私達の存在は、本来、ひとりひとりがこの大いなる宇宙と一体となっている「梵我一如」(ぼんがいちにょ)なのであると、確信させて頂きました。





宮沢賢治さんの詩集「春と修羅」の序にある言葉。

(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

みんなのおのおのなかのすべてですから)

という言葉なども、賢治さんが梵我一如の状態にあるからこそ発せられる言葉だと思います。





それにしても龍笛おそるべし!
『龍笛は梵我一如の道しるべ』と呼ばせて頂きましょう。ポートアイランドの西海岸のそばには大学があって、そちらの学生さんが吹いていらっしゃるのか、ポートアイランド在住の龍笛奏者の方が吹いていらっしゃるのか、どちらにいたしましても、お見事!こころにしみいる素晴らしい龍笛吹奏でした。感謝いたします。




日出処の天子、聖徳太子さまも龍笛を吹いていらっしゃたご様子で、いろいろ伝説もあるようですが、どのような音色だったのでしょう。龍笛独奏、そして古雅楽は古代より神聖な音楽ですが、本来の自分、梵我一如である自分に目覚めさせてくれる、聖なる目覚まし時計の役割も担っているのかもしれません♪