久しぶりに市営の屋内プールに行った。
土曜で夏休み 家族連れが多かった。
幸い、僕のいつも利用するレーン「長く泳ぐコース」は3人しか泳いでいない。
早速水の中に身を投じる。心地よさを全身で感じる。
僕は泳ぎはじめた。ゆったりとしたクロール。
体を包む水が流れる爽快感。
25mを二回ほど泳いだとき、
「ごつん!」誰かと頭同志ぶつかった。
レーンは対向一車線だから、こんな事はよくある。
「ごめんなさい」ゴーグルをはずして女の子がこっちを見てる。
綺麗な女の子だった。
僕もゴーグルをはずして言った「大丈夫、平気だよ」
その後僕は泳ぎ続けた。
ところがターンするとき、真後ろに彼女がいるのが分かった。
僕が20往復している間に彼女はいなくなった。
なんだか惜しい気がしたが、シャワーを浴びて服を着、
ロッカールームを出た。
そこに彼女がいた。
「さっきはごめんなさいね」
「いいけど、どうしてあの後僕についてきたの?」
「真後ろを泳いでたらぶつからないと思って。
それにあなたの泳ぎ、とっても綺麗だわ。見とれてたの」
「ありがとう。ところでお昼時だけど、どこかで食べるの?」
「ハンバーガーでも食べようかと思って」
「いいね、ご一緒してもいい?」
「もちろん。その為に待ってたんだから」
それから僕らは自転車でマクドナルドへ行き、ハンバーガーを食べた。
彼女の食べ方は上品で、その為僕が食べるスピ-ドの倍かかった。
食べ終わったとき、彼女は言った。
「ねえ、来週も今日と同じ時間に来れる?」
「うん」
「じゃ、その時に」
彼女は僕を残して去っていった。
翌週、彼女は受付の前で待っていた
「プールにはいると髪ぼさぼさになるから・・」
「綺麗だよ」
「あら、お世辞が上手ね」
僕たちはそれぞれのロッカールームに入っていった
プールにやってきた水着姿の彼女は、まるでマーメイドだった 。
マーメイドは言った。
「私真理子と言うの。あなたは?」
「明。」
「じゃあ、明さん、今日は何メートル泳ぐのかしら」
「1.000m。20往復だ」
「つきあうわ。一緒に泳ぎましょう」
僕と真理子は水に入った。ひんやりとして気持いい。
「先に行って。ついていくから」
僕は泳ぎはじめた。ターンの時に真理子がついてきているのが分かる。
ところが3回目のターンの時、真理子は僕を追い越した。
見てると、とても優雅に泳いでいるのにスピードが半端じゃない。
必死で泳いだが差は広がるばかり。
向こうの端につくと、真理子が笑ってる。
「うふふ、私高校で水泳部だったの。インターハイにもでたわ」
「凄いな、じゃあ、僕の後を泳いでいてもつまらないだろう?」
「いいえ、あなたの泳ぎ方はとっても綺麗。だから泳ぎながら観賞してるの」
「まあいいや。続き泳ぐよ」
真理子は今度は追い抜いたりせず、僕の後をついてきた。
そして1.000mを泳ぎ切った。
「物足りないんじゃない?君、もっと泳いでいいよ」
「いいの。今日はファミリーレストランに行きましょう」
ファミリーレストランで、僕はカレーを、真理子はサラダバーを注文した。
真理子は相変わらずゆっくりとサラダを食べ、2回もお代わりに立った。
「いくら多く食べたって、サラダじゃお腹いっぱいにならないんじゃない?」
「いいの、ダイエット」
「ダイエットが必要には見えないけど?」
「あら、ありがとう。でもあと2キロ落とさなきゃ。
あ、そうだ、あなた携帯持ってる?アドレス教えてくださいな」
僕は教えた。真理子も教えてくれた。
「あのね、私あなたの泳ぎだけじゃなくって話し方も好きなの。
水の中じゃ話せないから、今度はどこかデートに誘ってね」
「どこに行きたいの?」
「あら、それは男性が設定してくれるものよ。
決まったら教えてね。じゃあ、そろそろ行きましょうか。
ここは割り勘にしてね」
彼女は伝票を持って席を立った。
僕は追いかけ、レジでそれぞれの勘定を支払った。
出口で別れた後、僕は走り去る真理子の自転車をしばらく見つめていた。
なんだかつかみ所のない人だ。でもとても魅力的でもある。
僕は家路を急いだ。デートコースを考えながら。
僕はデートコースを考えた。
真理子からあのように言われた都合上、ありきたりではだめなのだろう。
ありきたりでないデートコース。
遊園地、動物園、海水浴・・
どれもが陳腐に思えてならない。
あれこれ考えている間にプールの日がやってきた。
真理子になんて言い訳しよう・・
いつもの時間にプールに足を浸けた。この瞬間がとても好きなのだった。
ところが真理子がいない。
メールでは来ると言っていたのに。
仕方ない。僕は泳ぎ始めた。
手を水中から抜き、伸ばし、指先から入水する。
その時に反対の手は水をかいているので、体がぐぐっと進む。
いつものようにクロールで1.000m泳いだ。
ゴーグルをはずして辺りを見回す。
真理子の姿は、ない。
どうしちゃったんだろう。
シャワーを浴び、服を着、ロッカールームから真理子にメールした。
「どうしたの?体でも壊したの?」
すぐ返信が来た。
「ごめんなさい。ちょっと事情があって・・
来週も行けないと思う」
「じゃあ、デートも先延ばしかい?」
「ええ、それとメールも控えてもらえる?」
「え?どうして?僕なにか真理子の気に障るようなことしたっけ?」
「いいえ、あなたは何も悪くないわ。悪いのは私の方。
時期が来たら私から連絡するから。ごめんなさいね」
僕のこころは立ち尽くし、うつむいて言葉を失った。
それ以来、真理子からメールが来ることはなかった。
そして毎土曜日のプールの日にも彼女は姿を現さなかった。
僕は時間と共に彼女を忘れることはなく、むしろ会いたい気持が募っていった。
いつの間にか夏が終わろうとしていた。
僕はいつものように泳いでいた。
しかし前のように無心に泳ぐことはなく、
単調なクロールの時間の中で、真理子のことばかり考えていた。
たった二回しか会っていないのに、ほんの僅かメールを交わしただけなのに、
いつしか真理子は、僕のこころの大部分を占めていた。
それだけに、会えない、メールも出来ない状況はとても辛かった
楽しかった水泳が、今は哀しく感じた。
いつものように1.000m泳ぎ切り、プールの端でゴーグルをはずした。
真理子がプールサイドで笑ってた。
僕は目を疑った。
「真理子、真理子なのか?」
「そうよ、長い間ごめんね」
「いったいどうしちゃったんだい?1ヶ月も」
「いつか話すわ」
「いつからそこにいたの?」
「あなたが泳いでいるあいだずっと。
私の好きなあなたの泳ぎ、見ててとっても幸せだったわ」
「泳がないのかい?」
「もちろん泳ぐわ。今度はあなたが見ててね。私の泳ぎ」
真理子はクロールから始まって、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライを30分かけて泳いだ」
見ているだけで気持ちがよかった。しかもその速さと言ったらイルカのようだった。
「どう、見てくれた?」
「うん、とても速かったし優雅だった」
「ありがとう。久しぶりに全力で泳いだわ。
さ、お昼にしましょうか。今日は何を食べる?」
「うどんはどうだい?美味しいうどん屋が近くにあるんだ」
「OK。そうしましょう」
僕は着替え、受付の前で真理子を待った。
出てきた真理子を見て驚いた。
スイミングキャップを被っていたので先程は分からなかったけれど
ショートカットにしていた。それはとても美しかった
「新しい髪、似合うよ」
「ありがとう」
「どうして髪切ったの?」
「それもいつか話すわ。それとメール解禁だから。どんどん送ってね」
真理子はとても明るかった。
僕たちはうどんを食べ、そのうどん屋の前で別れた。
翌日、真理子にメールした。
「平凡なデートで申し訳ないんだけれど、河川敷の花火大会に行かない?」
返事はすぐに来た。
「あら、素敵ね。いつ?」
「明後日の土曜日。込むと思うので、K駅で5時に」
「いいわ。必ず行きます」
僕は携帯を閉じ、じっと見つめた。
本当に来るのかな。すっぽかされたらどうしよう。
当日、K駅。花火を少しでもいい席で見ようと、駅からはぞろぞろ人が降りてきた。
僕は真理子の姿を探した。
駅から最後にカラフルな浴衣を着た女性が降りてきた。
真理子だった。髪を結い浴衣姿の真理子に思わず僕は見とれてしまった。
「おまたせ、明さん」
「とっても綺麗だ」
「いつもながらお世辞が上手な方」
河川敷を歩いていると屋台が並んでいた。
「何か食べて置いた方がいいね。花火が終わると遅くなる」
「何言ってるの、お弁当持ってきたわよ。お茶もあるわ」
僕らは河川敷の特等席に風呂敷を敷いて座った。
真理子が作った弁当は、とても心のこもったものだった。
食べ終わって、僕はついに切り出した。
「ねえ、1ヶ月も僕をほおって置いた理由、聞かせてくれるよね」
「それは・・言わなくちゃいけないわね。
私、彼がいたの。妻子持ち。
2年もずるずる・・そこへ明君の登場。私、一目惚れしたの。あなたに。
だから彼に別れを切り出したの。なかなか納得してもらえなくて1ヶ月もかかっちゃった。
あなたとどうなるか分からなかったけれど、ふたまたかけるようなことはしたくなかった。
だからメールも封印し、プールへも行かなかった。ごめんなさい。わたし、不器用なの」
「そうだったんだ・・僕は君に会えなくて気が狂いそうだったんだよ」
「わたしだってそう。あなたに会えない、メールもない日々は胸が痛んだ。苦しかったわ」
「じゃあ、僕たちは今や恋人同士だってことだ。わお」
真理子の目が潤んでる。
その時最初の花火が上がった。大輪の花が夜空に描かれ、少し遅れてどーん!と大きな音がした。
音に驚いて真理子は僕に抱きついてきた。
僕も強く抱きしめた。
花火の打ち上げは続いた。永遠のように。
完