「割り切られて生きる」
思想とか哲学といった大袈裟なものではありませんが、
人生とはこういうものだ、こう生きてゆくのが本当だ、このように生きて行きたいといった、
言わば人生観のようなものを私たちは皆持っていると思います。
つまり、人生をそれぞれに割り切ろうとしています。
しかし、そのように割り切れるのは人生の上辺だけでしょう。
人生は割り切ることのできないものです。
割り切るのではなくて逆に割り切られることを求めてくるものです。
それは、人生が割り切れない程に深いからではありません。
生かされて生きるものだからです。
『神の風景』p233 藤木正三著
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