列車は京都に近づいていた
窓の外は田園風景が広がり、周りに形の良い山が続いている
青々とした水田、佇む白鷺、民家
雨が降り始めている
速い
100キロ近く出ているだろう
飛ぶように風景が過ぎ去ってゆく
牧師になった友人を
琵琶湖の畔の街に訪ねる旅
ふと視線を下げると 線路が見えた
思いが浮かぶ
どうして 線路は二本なんだろう
太い一本でも 三本でもいいじゃないか
どこまで続くのか
この線路は
きっとどこまでも、どこへでも続いているのだろう
ポイントで切り替えられて、線路はどこへでも続く
でも、列車は知らない
切り替えられて
どこへ行くのか
いつ終わるのか
列車は何も知らないまま
ひたすら走り続ける
駅で止まることはあるにせよ
まるで人生みたいだな
どこまでも、どこへでも
でも、行き先はわからない
僕はまた思う
線路はどうして二本あるのか
足跡みたいだ
そんな話を友人の牧師にする
彼は答える
こんな話を知ってるかい
フットスタンプ、足跡って言うんだけど
彼は話してくれる
キリスト教の有名な話
ある男が人生の旅路を振り返る
その長さを示すように
延々と足跡が続いている
ところが、足跡は二人分ある
たまに一人分の時もある
彼は
神様の声を聞く
二人分あるのは
私が君とずっと一緒に歩いたからだよ
じゃあ
一人分の時は
あなたはどこに行ってたんですか
私はとても苦しかったんですよ
それは、君が途方もなく苦しく、歩けなくなったとき
私が君を背負って歩いたのさ
だから一人分の足跡
僕は牧師の話に涙が溢れそうになった
一人じゃないんだ
帰路で僕はまた線路を見ていた
二人分の足跡を思いながら