蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『海道東征』 ビクターレコード

2020年04月14日 | 作曲家 その他
        
    
    財團法人日本文化中央聯盟主催
    皇紀二千六百年奉祝藝能祭制定
        交聲曲
  海道東征
    (北原白秋作詞・信時潔作曲)

    獨唱 合唱 東京音樂學校
    伴奏    東京音樂學校管絃樂部
          (指揮 木下保)

  海道東征  KAIDOOーTOSEI
            北原白秋作詩  信時潔作曲

        題字・北原白秋氏

 〔口絵写真〕
       
     (日比谷公會堂に於ける「海道東征」發表會・指揮 木下保氏)

 曲

  Ⅰ 高千穂     TAKATIHO
  Ⅱ 大和思慕    YAMATOーSIBO
  Ⅲ 御船出     MIHUNADE
  Ⅳ 御船謠     MIHUNAUTA
  Ⅴ 速吸と菟狹   HAYASUI TO USA
  Ⅵ 海道回顧    KAIDO KAIKO
  Ⅶ 白肩の津上陸   SIRAKATAーNOーTU ZWORIKU
  Ⅷ 天業恢弘   TENGYOーKAIKO

    

 詩

 第一章 高千穂
     
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一
     合唱     東京音樂學校

 第二章 大和思慕

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     合唱     東京音樂學校

  大和は國のまほろば、
  たたなづく靑垣山。

  東 ひむがし や國の中央 もなか 、
  とりよろふ靑垣山 あをがきやま 。

  美 うるは しと誰 た ぞ隱 こも る、
  誰ぞ天降 あも るその磐船 いはふね 。

  愛 かな しよ鹽土 しほつち の老翁 をぢ 、
  きこえさせその大和を。

  大和はも聽美 ききうるは し
  その雲居思遙 もひはる けし。

  美しの大和や、
  美しの大和や。

 第三章 御船出

     アルト    千葉靜子
     合唱     東京音樂學校

 第四章 御船謠

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     テナー    藤井典明
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第五章 速吸と菟狹

     ソプラノ   山内秀子
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第六章 海道回顧

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     テナー    渡邊高之助
     バス     中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第七章 白肩の津上陸

     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一
     バス     栗本正 
     合唱     東京音樂學校

 第八章 天業恢弘

     テナー    渡邊高之助
     バリトン   栗本正 
     合唱     東京音樂學校

  海道東征註 〔下はその一部。註は(六四)まである。〕
     東京音楽学校教授
       風卷景次郎

 (一)この作品は皇紀二千六百年奉祝藝能祭の爲に日本文化中央聯盟の囑によ依り、特に作られたもので、昭和十五年十一月二十日東京音樂學校奏樂堂において初演、つづいて二十六日東京市日比谷公會堂において公演され、共に多大の感酩を與へた。
    本來、神武天皇讃歌三部作の第一部に當るべきもので、御東征の軍勢が高千穂宮を發し、大和の國に入られるまでを扱ってゐる。
    海道は海路。速吸瀬戸で、國の神に「汝は海道 うみつぢ を知れりや」と問はれると、「能く知れり」と答へ申したので水先案内とされた事が古事記に見えてゐる。
 
 (一六)古事記中卷、日本武尊御東征の時、能煩野 のほの で詠まれた國思 くにしぬび の歌、大和は國のまほろば、たたなづく靑垣山、こもれる大和しうるはし、の句をそのまま活用してある。まほろばは四周山に圍れた所。たたなづくは連山重畳するさまをいふ。青垣山は四周をとり圍らす靑山。
 (一七)具足すること。姿かたちの優れてととのった靑垣山よの意。萬葉集に、大和には群山 むらやま あれど、とりよろふ天の香具山、登り立ち國見をすれば云々とあるのから來てゐる。
 (一八)日本書紀神武紀の御東征の會議の條を見ると、天皇の御言葉として、鹽土の老翁 をぢ に聞きしに曰く、東に美地 よきくに あり、青山四もに周れり、その中に亦天の磐船に乗りて飛び降れる者ありといひき、と仰せになってゐる。すでに先を越して天降った者があるさうだといふ御言葉には、大和は誰もが良しと目をつける所だとの意がある。
 (一九)日本書紀によると、天孫降臨の後、吾田 あだ の笠狹 かささ の碕 みさき (今の薩摩の川邊郡の長尾山、笠砂、阿多半島の邊)に行かれると一老人に會はれた。それを事勝國勝長狹神 ことかつくにかつながさのかみ といひ、伊邪那岐命の御子、一名鹽土老翁といふ。住吉の神のことだとの説もある。

 (六三)この一章は全體のしめくくりとして、一足とびに天皇の位に即かれる時の事に移ってゐる。はじめ三節は三種神器に配してある。意味は天地初發の時はやく生れられた皇祖神の國家經營の大御言をうけ繼がれ、從はぬものを速やかに討ち給へといふことである。

 合唱 海ゆかば (大伴氏言立 信時潔曲 山口正男編)

  海ゆかば水漬 みづ く屍 かばね
    山ゆかば草むす屍
  大君 おほきみ の邊 へ にこそ死なめ
      かへりみはせじ
               東京音樂學校
               伴奏 東京音樂學校管絃樂部

 A五〇四五一一☆納附濟☆十二吋白盤八枚☆アルバム入☆公定價格拾九圓六拾銭☆満洲國・關東州其他外地は特定値段による


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