おやじのパイプ

壁に飾ったシベリア抑留中に作ったと自慢していた亡父のパイプを眺めながら写真と木版画の海を漂っている。

旅券返納から想うこと

2015-02-12 22:42:32 | 日記
某新聞の読者投稿欄にあった『旅券返納に賛成です』との投稿について想う。
概要は次。
「テロの危険がある国への旅券返納命令に賛成。自己責任といっても自国や他国を巻き込むし、人質になれば知らないふりはできない。今回の件でも大事になったのに、自由となどと言わずに考えてほしい」
とのこと。
これって過去のイラク戦争の時にお金だけ出して”国際社会に貢献した”と自己満足していた当時の日本人と同じロジックではないか。
端的に言えば、危険な所にはどこかの国のジャーナリストに行ってもらってその報告を金を出して聞けばいいと言っている気がする。
文化や感性が違う国で育ったジャーナリストの視点での記事が、本当に日本人にとってほしかったものであるのかどうか・・・・。
同じ感受性を持った日本人が見てきた状況を伝えてくれないと本当のことが伝わらないと思う。
ある種のマスキングがかかった政府報告だけを聞いていて、それですべてを判断してもいいのかどうか。ジャーナリストは現地に行くべきであり、我々は政府からの情報と併せて両方の情報を得てそれぞれの個人が考えるべきであると思う。
そのためにしっかりした考え方と目的をもって、十分な準備対応したジャーナリストがかの地へ行きたいといったなら物心両面で支援すべきであると思う。
医療においてさえもセカンドオピニオンが当たり前になっている現在、多くの情報ソースを持つことは正しい判断をするうえでマストである。
日本政府がこれから行うと言っている”積極的国際貢献”が最適な貢献で相手側からも喜ばれ、そして効果を挙げているのかどうか、国民として判断するためにも多くの情報が必要なのである。
この記事の筆者の考え方をさらに突き詰めていくと、例えば電車の中でのマナー違反についても危険だから見て見ぬふりをするべきと聞こえてくるし、道で困っている人がいてもかかわるなと言っているような気がしてくるのは私だけであろうか。
//けむり

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