先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

大恐慌下のアメリカ労働者のたたかい

2010年06月13日 18時14分49秒 | 先輩たちのたたかい

大恐慌下のアメリカ労働者のたたかい

1934年サンフランシスコ港湾労働者のゼネラルストライキ

サンフランシスコなどアメリカ西海岸の港湾で働く3万2千人の労働者がついに決起した。
週わずか10ドルという低賃金、休憩もない長時間労働、日常的な重大労災、なりより屈辱的な「シェイプアップ」という奴隷的扱い(毎日、毎日、ボスや手配師から「指名」されなければ仕事にもつけられない)の改善を求めて労働組合を認めろとストライキで立ち上がったのだ。

ストライキは57日間も続いた。港湾や業界のボスは政治家と結託し「アカだ」「共産主義者だ」とデマを流し切り崩し行ってきたが労働者の結束は固かった。経営者と権力者共は、ついにライフルや機関銃で武装した警官や軍隊を2000名動員し戦車まで使い襲いかかってきた。1934年7月5日の「血の木曜日」だ。
ストライキ労働者2名が殺され、100名が大ケガを負わされ、800名が逮捕されたのだ。

しかし、労働者は決して屈服しなかった。逆に労働者市民4万人が、殺された2名の葬儀に参列し、その1週間後にはサンフランシスコ全市がストライキに突入したのだ。病院も鉄道も、そして商店もだ。
労働者が街全体を止めたのだ。ゼネラルストライキだ。

ついに経営側は、<「シェイプアップ」はやめる。賃金の改善。労働時間を決める。労働組合を認める。労働条件は労働組合との協議で決める。・・・等々>を約束した。
これが、アメリカ労働運動歴史では有名な「ビックストライキ」である。
―――アメリカ国際港湾倉庫労働組合(ILWU)より―――――


1934年アメリカサンフランシスコ ビックストライキ 

 

1937年GM数千の労働者44日間の座り込み(シットダウン)闘争

1937年のデトロイトのフリント工場労働者数千名とその家族の座り込みストライキ。
労働組合を認めようとしないGMに対し、GM労働者とその家族と地域の多くの労働者の支援により、工場座り込みのストライキで闘った。
GMは自警団、警察、州兵を使い襲撃を繰り返してきたが、労働者は座り込み闘争を続けた。家族・全国の支援のもと、ストライキ44日目ついに労働組合の承認を獲得した 。

この<シットダウン・ストライキ>の勝利のあと、小さな組合であったUAWに、たちまち数十万人の労働者が続々と加入してきた。


Flint Sitdown Strike -- Pt. 1

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