先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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熊本県群築村小作争議の敗北 1925年主な小作争議(読書メモ)

2022年08月31日 08時00分00秒 | 1925年の労働運動

位牌「土地と自由発行所」

熊本県群築村小作争議の敗北 1925年主な小作争議(読書メモ)
 参照 「日本労働年鑑第7集/1926年版」大原社研編

群築村小作争議の敗北
 
熊本県八代郡築村、1922年(大正11年)、23年、24年と紛争が起き、1925年11月に終了した。
 郡築村は、1908年(明治41年)からの海の埋め立て開拓地でその所有権は八代郡にあった。農民400余戸の大部分が小作人であった。しかし、もともと埋め立て開拓は小作人の尽力が大きかった。そのため土地の所有を主張する小作人の声は当然であった。1922年(大正11年)の深刻な不作をきっかけに小作料減額の要求から、近代まれにみる群築村小作争議がはじまった。

(1922年大正11年の不作)
 1922年(大正11年)の水害や虫害による不作は農民を極度に追い詰めた。米などの収穫は通年より3割から5割の減少をみた。11月26日農民は役場に集合し、小作料の5割減を要求したが、地主である八代郡長はただちに拒否してきた。そこで農民は小作料の半額だけを支払うという抵抗をした。ようやく郡長はその年の小作料1割減と小学校増築補助費として金1万円を回答してきたが、農民側は小作料永久1割5分減などを主張した。ところが農民の中でまっ二つに分かれる分裂が起き、この二派対立は最後まで続いた。

(日本農民組合支部を結成)
 1923年(大正12年)4月群築村で日本農民組合支部が結成され、以下の要求が決定された。
要求
一、大正11年年度の小作料は5割減とすること
一、向こう5年間の小作料は無料
一、小作地7割の部分獲得と変更

(地主側の組合攻撃)
 6月、八代郡長らの公益事業組合は小作人10数名に対し、契約満期の小作地明け渡しを内容証明書で郵送してきた。農民組合に加入しない農民は「純農会」と称する団体を結成し、地主側はこの純農会には補助金1千円を下付し発動機を貸与するなどの一方で農民組合に対しては、仮差押などの訴訟や農地立ち入り禁止仮処分執行をしてきた為、組合員は一層激昂した。
 警察が農民組合支部の幹部を「煽動と組合加入強制」として県令違反だとし、また前郡長宅に押しかけたことで検挙してきた。

(一旦は解決)
 1924年9月29日以下の条件で合意した。
一、1923年(大正12年)度の小作料は3割減とする。
二、1924年(大正13)度以降5年間は試用期間として小作料を3割減とする
三、肥料代として毎年1万3千円を支給する
などで2年間に及んだ争議は一旦は解決した。

(再びの組合攻撃と農民の敗北)
 1925年(大正14年)8月、地主は小作人30余名に対して、小作料未納を理由として物件仮差押執行をしてきた為、再び争議が開始された。10月17日、八代町劇場において郡築村農民組合主催の地主批判演説会が開催された。地主である公益組合関係町村側は総力を挙げて2,400名もの人夫を動員し、差し押さえ中の稲の刈り入れを強行しようとするなど、今回は農民側を力づくで屈服させようと迫ってきた。

 11月、ついに農民側は敗北した。地主側が要求した「農民組合の解散」「農民組合旗は村長に引き渡す」を受け入れたのだ。ここに群築村争議は終了した。



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