先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著(七~八)

2021年08月10日 08時18分00秒 | 1920年浅原健三の『溶鉱炉の火は消えたり』

『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著(七~八)
―八幡製鉄所の大罷工記録—

七 準備は成れり

 八幡に帰ると、すぐ、四五の幹部を集めて、東京の様子を報告して置いて、私は姿をかくした。
 一月二十日、私は人夫供給所の手から、森重皆一と二人で人夫になって工場にもぐり込んだ。構内の全地形を、地図の上ではなくて、現実に見知って置いて、罷工の作戦計画を立てる必要があったからである。この事は、四五人の同志の他、誰にも知られなかったが、入門の翌日、或所で偶然会員の某君に出会ったので、ワケを話すと、主任の方は自分がウマク繕(つくろ)って置くから、仕事は放って置いて、全工場を歩き廻れと言ってくれたので、毎日、朝から晩まで、足に任せて全工場を駆け廻った。
 構内人夫四日間、私は製鉄所を隅なく頭に畳み込んでしまった。夜は自分の動静を知られないように、市内の各所を転々と泊まり歩いて、作戦計画に耽(ふけ)った。
 二十三日から連日委員会。罷工基金の募集を始めると、想像以上の好成績である。戦備は着々と進む。
 二十六日、私が八幡にいると官憲の注目をひき、全員の活動が制縛(せいばく)されるので、暫時八幡を去ることにして、鞍手郡直方町、駅前のイロハ館という宿屋に隠れた。八幡からは西田が毎日やって来て連絡をとった。
 私は罷工決行の日を二月十三日頃と決めていた。十二日は恰度(ちょうど)職工の勘定日で、給料が彼らの懐にはいる。少しでも経済力の豊かな日を選びたいので、十三日まで十分に結束を図り、それまでは満を持して放たない心組でいた。ところが、二十九日、西田が来て、「もう、とても抑えきれない。明晩、中央委員その他主だった会員の全部が集って最後の協議会を開くから、是非帰れ」と厳談する。敵の虚を衝(つく)には一日でも早いがいゝ。しかし戦闘準備は十分ではない。さらに基金が足らぬ。「もう四五日でも」と思うが、それを構っている暇がない。八幡に出てゆくことに決めた。
 三十日の夕方、直方から八幡へ。先づ西本町の組合員能美の宅に行って、着ていた着物を印半纏(しるしばんてん)に着替へ、夜の九時頃、こつそりと附近の会場に出かけた。或る木炭屋の裏にある倉庫の二階。板敷きの床の上に莚(むしろ)を敷いて、薄暗い電灯の下に凝議していた八十人ばかりの幹部組合員は、私の姿を見ると、一斉に、声なき喊声を挙げて、私を迎えた。どの顔も戦意に輝いている。
 機は熟す。協議会は簡単に「決行」と一決した。
 二月一日、二日、労友会の診療所――看板は掲げているが、未だ始めてはいない、夜逃げした或る開業医の家を、組合員の出資で、専属の医師を雇い入れて経営してゆく予定で、債権者から借り入れていたもの――で協議。
 戦闘準備は愈々最後期に入った。
 当時、製鉄所の測量部の計算課に勤めてゐた麻生という男が二畳敷大の製鉄所構内地図を拵(こしら)えあげた。これを広げて作戦計画を立てる。
 先づ中堅の指揮隊を運輸、外輪、機関庫、製鋼、堂山工場の五隊に分け、吉村真澄、廣安栄一、鳥居重樹、福住芳一、山田栄蔵の五君が各隊の指揮者。一隊に補佐と伝令とが二人づゝ。
 第一隊から集合して進行し始め、順次後を追うて全工場内を廻り、全職工を動員しつゝ、隊伍堂々本事務所前の広場に集合する。
 罷工開始は午前六時五十分。当時は二交替制で、出勤の早めな職工は六時四十分頃には現場に到着しており、遅い者でも七時には門を入って、同十分には現場に着いている筈であるから、六時五十分に行動を開始すれば、早い者も未だ仕事を始めていないし、遅く入門した者は現場に行かないで、直ちに行列に参加し得る便宜がある。
 各隊の指揮者及び中堅となる者は、昼間勤務の者でも、前夜の入門時間内に工場に入っていて、六時半頃から夜勤の者を集合させ、定刻には、この夜勤と入門したばかりの昼勤とを合流させる。
 七十の工場を十二分し、三四の小隊からなる十二大隊に配分し、十二大隊を更に五つの中堅部隊に編成する。各工場では大隊毎に集合して先頭部隊の来着をその場で待て。
 各隊は近道をせず、必ず工場の内部を順路を経て行進する。
 組合幹部は各大隊の先頭、中軸、殿り(しんがり)と、三ヶ所に配属し全隊の統一を図る。
 本事務所を包囲し尽したら、代表者は要求書を長官に提出する。回答期間は二日間。
 要求書を渡した後、演説、指令。直ちに出門。市中の順路を示威運動しながら、全員豊山公園に引上げる。
 大体の段取が決った。
 小手調べとして嘆願書を出してみることになった。四日、午前十一時、福住、吉村、鳥居、山田の四君が代表者として本事務所に出かけ、中川次長に会見を申込んだが、回避したので、竹下工場課長、南部文書課長に会つて嘆願書を提出。
 
      嘆願書
一、臨時手当及臨時加給を本給に直して支給されたき事。
一、割増金は従来三日以上の欠勤者に対しては附加せざりしが、これを廃し、日割を以て平等に支給されたき事。
一、勤務時間を短縮せられたき事。
一、住宅料を家族を有する者には四圓、独身者には二圓を支給せられたき事。
一、職夫の現在賃金三割を加給せられたき事。
 
 竹下工場課長は既に此の嘆願書提出を予期していたので、彼は言下に、「嘆願書は第一、職工の調印がないから正式の書類でもなく、諸君を代表者とも認め得ない。また長官に嘆願したいなら、各工場主任の手を経て提出しないと直接は受取れぬ」と受領を拒絶した。委員は形式の末に拘泥しないで受取れと、押し問答数十分、工場課長は頑強だ。
 談判不調。委員は引上げた。
 その夜、八幡駅前、松屋旅館の三階で会議。会する者、各工場代表二百余名。罷工団の中堅。昂奮は将に絶頂だ。殺気充満、全員の面上血は走る。この機を逸せず、一路突貫への最後的決定。前記の指令を確定して、十一時散会。或者は診療所へ、或者は工場へ、他は自宅へ。明日の勝利を誓うて別れる。

八 嗚呼二月五日

 一九二〇年二月五日、大罷工決行の日。最初の演説会から全五ヶ月、罷工準備期一ヶ月、いよいよ今日こそは乾坤一擲(けんこんいってき)の日である。二十三歳の血潮は高鳴る。
 夜勤の者は四日夜十一時工場に入つている。昼勤の幹部は診療所で夜を明かした。朝が来た。西田は草鞋脚胖(わらじきゃはん) 、人夫に化けて他の幹部と共に工場に。浅原は罷工隊の本拠ときめた診療所を守る。早晩判ることではあるが、労友会の本部は女事務員一人を残して空っぽにし、罷工本部を一時不明にして置く。
 夜半の二時頃から霙(みぞれ)だ、
 診療所に籠城した連中は六時工場へ、あとには浅原と病気の田崎が残る。
 勝敗の岐路、生死の分水嶺! 六時五十分が来た。二万五千が一斉に、大罷工への力強き初一歩を踏み切る瞬間。
 罷工行動は展開せられた。
 第一隊たる運輸課の指揮者は××××××××××、×××××、××××××××××××××××、×××××、××××××××。総数二万輌と称えられている貨車――進行中のもの×、×××××××××××××××××××、××××××××。九州本線からの引込線――それは製鉄所の陸上からの咽喉(のど)だ――も、モノの見事に×××××。全製鉄所の運輸機関はハタと停った。沸々たる水蒸気を吐きながら横たわる機関車、無残に横腹を空に向けて倒れた貨車、石炭も、鋼材も、鉱石も、一塊一片と雖も運べない。糧道は完全に断れた。
 怖気づいて躊躇したり、指令が徹底しなかったりした為に、×××××××××××××××。罷工隊の前衛が突進する。×××××××××××××、×××××××××××××。×××××××××××××××××××××、××××、××××する。××××××××××、×ってたかって枕木で×××す。ある守衛の如き、溶鉱炉に石炭を運ぶ炭車だけは、どうしても××られぬと、自分で機関車の車庫から引き出し始めたが、前面の軌道に、「××××、俺達を××て行け」と立ちはだかった群衆に遮ぎられ遁走した。
 中央汽鑵場。全工場の心臓。五十本の大ボイラーが荘重に並列する。最高度の蒸気は、ここから全工場に放送せられる。溶鉱炉、平炉、転炉、瓦斯、骸炭の中心工場、運輸、発電、起重機、ケーブルカーの諸動脈、据付、外輪、製鋼、製鑵、鋳物、修善等々の支流工場、総ての魂(たましい)はこの中央汽鑵場だ。そのボイラーの火を落す。それは製鉄所への××宣告であり、罷工手続上の××である。
 若し火夫が××××××××××××××××××× ×××××、××、×××××××××××××××××、×××××××、その任に当ることになっていた。しかし、難なく火は掻き落された。パット散る火華(ひばな)。火口は燃え盛る石炭の山、又波。火の舞踏!ハンマーを揮う男は、見よ、××××××。ガラス製の分厚な円棒――水量器は、×××××××××××。××××××。奔溢(ほんいつ)する水蒸気。瀧と落ち散る熱湯は焚口に燃え上がる火焔の上に降り注ぐ。沸然、騒然。濛々たる白煙の柱は一尺先を闇にして、人も、ボイラーも、建物も、数分間は大水蒸煙の白布に押し包まれる。白闇の裡に叫び合い、叫び交す異様の声! 凄気、人の胸を衝き貫ぬく。
 中央汽鑵場の火が落ちた。蒸気が絶えた。瓦斯、骸炭は活動を停止した。溶鉱炉の呼吸器管大送風機は、悲しく低く最終の唸りを吐いて止った。大マンモスの骸!
 毒ガスの貯蔵機、熱風炉は其の運命を送風機とともにした。
 八幡製鉄所の生命、溶鉱炉への動脈は這ひ寄る夕闇のように死んでゆく。溶鉱炉が消える。火が、熱が、溶鉱炉の死滅が、音も立てずにヒタ押しに迫る。
 明治三十四年二月五日、第一溶鉱炉に点火せられてから満十九年の同月同日。大正九年二月五日! 嗚呼、遂に!
「溶鉱炉の火が消えた!」
 三百三十噸(トン)炉、二百八十五噸炉、二百五十噸炉、等々、五基――現在六基――の溶鉱炉が兀然(こつぜん)と立ち並び、点火以来六千九百三十五日、小熄(や)みもなく、幾十万噸の、釜石、撫順、挑冲(中国の桃冲鉱山)、遙かにも印度から、山を越え海を越えて運ばれる鉱石を溶かし続けて来た、魔人の巨口――溶鉱炉!!
 衝天の光芒もここから放たれ、千度の高熱もここから発する。その生命は地球と共に永遠に、太陽と共に不滅だと不識裡に信じ切られていた。その溶鉱炉の火は落ち、煙は絶えた。
 刻、一刻、釜は次第に冷えて行く。生命を絶たれた鎔鉄も、鉱石も、たゞ黒く、冷たく凝結して行く。
 死の溶鉱炉!!
 瓦斯発生炉では、十数個の炉の蓋(ふた)を開け放しで飛び出した。放散したる瓦斯(ガス)は焔々(えんえん)たる青火となって物凄い呪いの異臭を発する。
 全製鉄所の電流は断たれ、電気モーターは運転をやめ、電燈は消えた。
 外輪工場では、重要なハンドル全部を×して仕舞った。ここの倉庫番の小田某。自称陸軍少尉、五十歳位のハゲ頭の果敢な男。何処から持って来たか、×旗を立てゝ先頭に立った。旗持ちの好きな男! 其の後も、示威運動の旗持はこの男に限ることになった。
 海岸の運輸課では、全職工を二階に集めて課長が能率増進の訓辞をしていた。訓辞がすむと、一人の職工が演壇に駆け上がって、ストライキの宣言演説だ。二千五百人ばかりの職工はワット喊声(かんせい)をあけて戸外に跳り出る。課長始め掛員はぼう然と空席を眺めてつゝ立っていた。
 平鋼工場では職工が仕事をやめようとすると、伍長某が威丈高になって叱りつけた。「皆仕事につけ、工場から一歩でも出たら承知しないぞ!」皆は黙って仕事に就いた。そのうち、油断を見すまして誰かゞ伍長に飛びついた。×××に会ったこの男、今は工長に栄進している。
 ロール工場では皆が流れ出るのを組伍長がとめかゝると、主任の権藤勳平が、「自由に出せ!」と命令した。後日、長官の前に呼び出されて叱られた彼は「他所では阻止したから衝突、××があったが、ロールは自由に出したから損害をまぬかれた。叱られるどころか賞められるべきです」と応酬した。永い在任中、彼の自慢の一つ話であった。


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