先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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「賀川豊彦」読書メモ③ 賀川豊彦の差別思想と吉野作造

2022年03月08日 06時01分43秒 | 賀川豊彦・キリスト者


写真上「資料集『賀川豊彦全集』と部落差別」キリスト新聞社
写真下・吉野作造

「賀川豊彦」読書メモ③ 賀川豊彦の差別思想と吉野作造

感想
  この本「資料集『賀川豊彦全集』と部落差別」では吉野作造については触れていないが、同じ友愛会の同志で、同じキリスト者たる吉野作造と賀川とのあまりの違いに驚愕する。知識人である賀川が『中央公論』や新聞その他の吉野のアピールを読んでいないはずがない。

参照
「資料集『賀川豊彦全集』と部落差別」キリスト新聞社
「日本統治下の朝鮮」(山辺健太郎著 岩波新書)

 賀川豊彦の差別思想  
 賀川が1915年に出版した『貧民心理の研究』には、ナチスと同じ優性思想に基づいた被差別部落民衆への全く誤った差別記述が実に多く出てくる。この本が出版された当時から、とりわけ1922年に水平社が創立され、賀川は1924年に水平社から厳しい批判と指摘を受けた。1929年、彼はこの本の絶版に同意はしたが、差別思想に関して公には一切の謝罪も反省も述べていない。それどころか「皇紀二千六百年」(『全集』第24巻)で、「我国は奴隷制度の蛮風なくカースト・システムの桎梏なく」といい切り、世界ではインドのカースト制度や日本の被差別部落が存在していることは周知の事実でありながら「民を愛し給ふた世界に比類なき統治者(天皇)」の下では日本には身分差別や身分制度はないと言い切っている。彼には「貴なくして賤なし」の思想はまるで無い。戦前戦後を通じて天皇を崇拝することに何の疑問も持たない(「天皇陛下万歳」三唱が大好きだった賀川)。

 彼の差別思想は他にも「今日の変質・発狂・低能・白痴・犯罪性の人間を淘汰によって除去し優種をうる方法」(『賀川豊彦全集』第7巻「女性論片々」)、「特に天才的な素質を持つ家庭は、国家としても守る必要がある」(『賀川豊彦全集』第4巻第12巻)等々と到底許しがたい内容でどれも深刻だ。

 (関東大震災朝鮮人虐殺)
 また賀川は関東大震災時に日本人救済に尽力しながら朝鮮人・中国人虐殺への認識の中身にも問題がある。震災の翌年1924年に賀川は他の牧師らと「朝鮮人及び中国人虐殺懺悔祈祷会」を東京YMCAで開催している。しかし、彼の実際の認識の程度は、「この大惨事の真っただ中で、避難者たちは、狂暴になった比較的わずかの人たちを例外にすれば、沈着であり、あらゆるところで、美しい相互扶助の精神を表していた。」(米国での移民法に反対する講演スピーチ)であった。ここには朝鮮人・中国人虐殺への抗議や怒りや朝鮮植民地政策への糾弾も反省もない。朝鮮・台湾侵略、植民地政策への糾弾、とりわけ朝鮮総督府が行った朝鮮人皇民化政策としての「神社参拝強要」とこれに抵抗し弾圧された多くの逮捕者と50人にも及ぶ獄死をだした韓国キリスト者への連帯支援の発言も運動もない。同じ友愛会の同志で、同じキリスト者たる吉野作造と賀川とのあまりの違いに驚愕する。知識人である賀川が『中央公論』や新聞その他の吉野のアピールを読んでいないはずがない。

  (関東大震災朝鮮人虐殺と吉野作造)
   1923年10月20日、吉野作造と堀江帰一は、山本権兵衛首相、後藤新平内相、平沼騏一郎法相、岡田忠彦家警保局長宛てに下記の決議文を提出した。

 決議
1、朝鮮人の陰謀並に朝鮮人と主義者との通謀の有無に関する調査事項を公表すべき。
2、前記事実の如何に拘らず朝鮮人殺傷の不祥事を発生させた流言をあくまでその出所を糾明し、その責任を明かにすべき。
3、流言の横行を取締らず民情の激情の暴行を放任したことについて、当局はその責任を明らかにすべき。
4、朝鮮人死傷者数、被害の場所並に被害の状況を出来るだけ詳細に公表すべき。
5、目下保護中の朝鮮人をできるだけその希望に応じ帰国の便を図る等便宜の処置を執るべき。特に負傷者に対しては、相当の手当をして遺憾なきを期すべき。
6、朝鮮人殺傷の犯罪に対して法を厳正に適用すべき。
7、速に本件に関する言論自由の禁令を解除すべき。
(中央新聞1923・10・22)

 田澤晴子著『吉野作造 人世に逆境はない』(ミネルヴァ書房刊)によると、吉野作造は、震災後の問題を学識者、政治家らが協議する「二十三日会」(改造社主催で9月23日発足)に参加し、朝鮮人虐殺問題を発議した。そして、10月8日、事件に対する政府の責任を問う決議を行い、20日には上の決議文を持って首相、内相、法相のもとを歴訪した。

 さらに、虐殺された朝鮮人2613人という「罹災同胞慰問班」の調査結果の詳細を、自らの名を冠して『大正大震火災誌』(改造社刊)に掲載しようとしたが、内務省から発表を禁じられた。吉野は原稿を製本し、表紙に「圧迫と虐殺」と書き込んだうえで「内務省より公表差留められた(大部分)に付後日の参考までに」と記して保存した。

  吉野は『中央公論』1923年(大正12年)11月号に「朝鮮人虐殺事件に就いて」を発表し、日本人は朝鮮人に謝罪すべきだとしてこう述べている。〈かくして無辜の鮮人の災厄を被ったものの数は非常に多い。罪なくして無意義に殺さるゝ程不幸な事はない。今度の震火災で多くの財と多くの親しき者とを失った気の毒な人は数限りもないが、併し気の毒な程度に於ては、民衆激情の犠牲になった無辜鮮人の亡霊に及ぶものはあるまい。今度の災厄に於ける罹災民の筆頭に来る者は之等の鮮人でなければならない〉。

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 (関東大震災朝鮮人虐殺への日本労働総同盟の姿勢)

 鈴木文治会長の朝鮮総督府への手紙(「日本統治下の朝鮮」山辺健太郎著 岩波新書)

 1922年7月の信越電力発電所工事現場の監獄部屋から逃亡を計った者が虐殺された「中津川(信濃川)朝鮮人労働者虐殺事件」が契機とした日本国内における朝鮮人労働者の決起と朝鮮人労働者同盟会創立など労働組合結成の組織化は日本労働者にも大きな影響を与え、総同盟内においても日朝労働者の提携が前進した。同月には朝鮮平壌におけるゴム女工の労働争議=餓死同盟の闘いに激励の電報を関東労働同盟会の大会から送っている。12月の大阪で組織された「朝鮮人労働者同盟会」創立大会には、西尾末広も出席している。
 23年には4月の総同盟中央委員会で「朝鮮民族解放運動は、・・・日本無産階級の解放運動と共同の敵を有する・・・両者が共同戦線に立つことを理想として」朝鮮人労働運動の調査を決めた。8月の中央委員会では「植民地人民の無産階級運動の促進に協力する」と決議した。日朝労働者連帯の気運は高まっていた。
 
 しかし、1923年9月の関東大震災朝鮮人・中国人虐殺事件、亀戸事件(南葛の同志や平沢計七らが殺害される)、大杉栄一家殺害事件という大弾圧を引き起こした支配者は、日本の労働組合一部指導者をすっかりびびらせ、恐怖のどん底に落とし込み、腰を抜かせ動揺させた。震災以後日本労働総同盟は、朝鮮人の運動を支持しなくなった。

 それどころか、1923年9月1日から一ヶ月も経っていない9月29日に日本労働総同盟鈴木文治会長は、朝鮮総督斉藤実に「鮮人労働者保護に関する意見書」を提出し「(今回の悲惨事件の被害にあった朝鮮人労働者は)言語の不通と内地の事情に不明なると、加ふるに被征服者の僻見(ひがみ)に富むあり。・・・日本人は征服者としての優越感を以って朝鮮人に接している。・・・朝鮮統治の意義ほとんど空しというも過言ではない。そのため、総同盟内において朝鮮人部を作り、朝鮮人労働者の保護救済、戸籍性行の調査、仕事の紹介、相互理解の促進、思想の善導、感情の融和の事業をしたいので、その専従費用5人分と運動費・機密費等一ヶ年1万2千円から1万3千円の資金援助」を堂々と要求した。山辺健太郎は、この鈴木文治の姿勢を「日本の植民地統治をそのままみとめ、むしろこれを継続させるための献策をしているのは驚くほかはない」と厳しく糾弾している。

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 私たち労働運動自身が戦争協力、侵略戦争に加担してきたとんでもない犯罪的歴史がある。関東大震災朝鮮人虐殺に対する日本労働総同盟の姿勢も今こそ問われなければならない。もし、あの時、日本労働総同盟やすべての労働組合や無産政党や賀川が吉野作造に習い、「朝鮮人・中国人虐殺糾弾」を最大のテーマとして全国で、また世界に向かって断固として、米騒動を上回る決意で闘いの火ぶたを切り、<暴露に次ぐ暴露で>で支配者を追い詰めていたら、日本と朝鮮の民衆は呼応しなかったであろうか、世界の労働者民衆は支持しなかったであろうか。その後の侵略の歴史はどう展開しただろうか。なにより日本労働者階級自身の教育と自覚にどう役立っていただろうか。

 現代の労働運動にいる私たちこそ、かつての労働運動の大先輩、戦前の一時期の巨大な潮流の先頭に立っていた人物、だからこそ、彼のこの差別思想と戦争協力(転向)問題をこれからも真剣に批判的に学んでいきたいと思う。



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