先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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新聞印刷工争議 1920年主要な労働争議⑤ (読書メモ——「日本労働年鑑」第2集 1921年版 大原社研編) 

2021年07月25日 07時22分08秒 | 1920年の労働運動

 

写真・「新聞聯盟協会」の号外(1919年8月1日東京日日新聞)

「我々はふたたび惨敗の苦い経験をなめなければならない。
三たび、また立ち上がる準備のために、ふたたびまたここに降伏しなければならぬ。
新聞聯盟の堅塁は、我々の正直な正攻法によっては、到底陥るべくもない。
我々はさらに奇襲法を講じなければならない。
ここに、再度の惨敗の顛末を記して、一般労働者諸君に事の真相を報じ、
重ねて同情者後援者諸君に深く恥かつ謝する」

東京市、新聞印刷工争議 1920年主要な労働争議⑤  (読書メモ——「日本労働年鑑」第2集 1921年版 大原社研編) 

8、新聞印刷工争議
 
 1920年7月31日、前年に敗北・瓦解した新聞印刷工組合「革進会」を再興させようと、志を捨てなかった新聞印刷労働者は、辛酸辛苦の努力のすえ、ついに東京市内全新聞印刷労働者の半数以上を組織化して新聞印刷工組合「正進会」を結成し、ついに以下の建白書を各新聞社へ提出した。

「建白書
 謹んで東京市内各新聞社経営者諸君に問う。
 昨年7月31日、新聞印刷工組合革進会が各新聞社に対して8時間労働と最低賃金との2か条を要求したるにつき遂にストライキの紛擾を生じ、各社と組合と共に多大の苦痛と損害とを経験したるは、各位の明らかに記憶せらるゝところでありましょう。又、紛擾の結果として、各社は将来時機を見て2部制を施行し、8時間労働を実現せしむべきことを約し、組合員はその公約に信頼して復業したるは各位の同じく明らかに記憶せらるゝところでありましょう。しかるにその後一年を経過したる今日その公約の実行せらるべき形跡だも見る事が出来ないのはいかなる理由でありましょうか。・・・・・・・。
 我々は常に新聞経営者との間における平和の関係を切望しつゝ、ただただ自己の境遇改善に向かって努力している者でありますが、ここに昨年7月の不幸なる件に対する一周年の記念日に際し革進会の後身団体としてこの書を各位に呈し各位が速やかに前日の公約を履行せられんことを熱望するのであります。
 大正9年7月31日 新聞工組合正進会
東京市内各新聞社御中」

しかし、これに対する回答を、どこの新聞もしてこない。『資本家等は何らの回答も与えない。彼らは全く我々を無視したのだ』(正進会宣言書)。

報知新聞への要求書(9月23日)
 要求書
我らは8時間2部制の必要を痛感し昨年これが施行要求したるが、その後1ヶ年たち今日に及ぶも未だ実を見ざるを深く遺憾として去る7月31日再びこれを提出したるもこれまた顧みられず、よって我ら工場員はさらにこれに社内改善事項を添え、改めてこの即時実施を要求す。

 一、8時間2部制(幼年工・婦女は6時間)
 一、最低賃金80圓
 一、幹部制度の撤廃
 一、専任赤字係りの廃止
 一、工場内諸設備の改善
 一、給料支払日の変更

 9月26日、正進会が、この要求書を会社に提出しようとする時、会社側に内通する労働者の一味が、わざと正進会員を悪しざまに罵り挑発し騒ぎを起こしてきた。この騒ぎの中で活字版台が転覆する事態になった。突如、潜んでいた多数の警官が現れ、待ってましたとばかりに正進会員だけ9名を拘引し、また労働者代表布留川桂を警察署に拉致した。報知新聞社は『我が社工場員数名は突然一工員に暴行を加えると同時に、多数の活字版台を転覆し、新聞の発行を妨害せんとせり』として『要求を後にして暴行を先にするは比類なき凶暴の態度』なりと断じた記事を報じたが、しかし、正進会の7月31日の建白書、9月23日の要求書については一言もふれていないのだ。
 拘引された布留川ら4氏は業務妨害、器物破損で起訴・収監された。同志の安否を気遣い日比谷警察署に駆け付けた正進会員17名もただちにその場で検束されてしまった。報知新聞社はすぐに、正進会員29名をクビにする高圧的態度にでてきた。その夜正進会は緊急臨時理事会を開催した。

 翌27日朝、印刷工組合信友会の応援を得る。29日、喜楽亭において「報知社紛議報告大演説会」を開催し、各労働団体の応援で聴衆は会場にあふれ労働者は殺気だった。満朝報活版部従業員は全員連署して「8時間制2部制」の要求書を会社に提出した。同じ要求は、東京朝日、やまと、讀賣、東京毎日の各社の新聞工からそれぞれの新聞社に提出され、紛争はたちまち拡大した。

 各新聞社は急遽、新聞聯盟協会臨時協議会(注)を開き「正進会を撲滅すべし」と議決し、また万一各社でのストライキの際には、いまだ正進会員がいない東京日日新聞社の印刷工場において、各社の新聞紙を印刷すると決めた。(注)新聞聯盟協会。昨年革進会の東京市内16新聞社ストライキの時新聞社が組合対策として作った聯盟協会。

 しかし、これを聞いた東京日日新聞社の文選工全員は、会社の「8時間2部制」拒否の回答を知るや、新聞工は互いに助け合うべきだと10月8日に職場を放棄した。10日は讀賣新聞社の植字工、文選工も全員職場放棄した。13日にはやまと新聞社の植字工、文選工と東京朝日新聞社の文選工全員が一斉に仕事を拒否した。

『組合の一員たる正進会の罷業を極力援助せん』
 13の労働団体で組織された労働組合同盟会は『組合の一員たる正進会の罷業を極力援助せん』と以下の宣言をした。
 「社会の木鐸たるべき新聞が、逆に資本主義的組織力を利用して、ストライキの真相を社会に秘密にし、世人に是非の判断をさせる資料を皆無にした。こうして多数の労働者を闇から闇へ葬りさろうという陰険卑劣最もにくむべきもののあり、・・・・我ら同じ階級意識において団結して連合する同盟会は、我が肉身の一部たる正進会のかかる逆境を座視できない、全労働階級の名において起って、彼ら横暴なる資本家と戦い、あらゆる手段によってこの正当なる要求を貫徹せんがために、ここに断固として宣言す」

 各社は新聞聯盟の決定に従い、労働者側の要求を断固拒否し続けると同時に、先進的組合員のクビを急いだ。報知新聞38名、東京日日12名、讀賣12名、朝日24名、東京毎日2名を解雇し、ブラックリストに載せ互いに全新聞社に配布した。同時に官憲の力を借りて30余名を検束させた。また正進会員の主たる組合員にはすべて尾行巡査を張り付け、さらに10数名の警官をして各社の工場の警備にあてさせた。こうして新聞資本と官憲の高圧的威圧と組合切り崩しは、正進会に大きな打撃を与えた。

 かくして1年の辛苦は水泡に帰した。萬朝報社の8時間2部制の即時実行と、時事新報社の来年1月からの実施約束と、同志4名の釈放を得ただけで、遂に一日の新聞をも休刊できずにストライキ中止のやむなきに到った。

10月15日正進会は宣言書を発した。
「我々はふたたび惨敗の苦い経験をなめなければならない。三たび、また立ち上がる準備のために、ふたたびまたここに降伏しなければならぬ。新聞聯盟の堅塁は、我々の正直な正攻法によっては、到底陥るべくもない。我々はさらに奇襲法を講じなければならない。ここに、再度の惨敗の顛末を記して、一般労働者諸君に事の真相を報じ、重ねて同情者後援者諸君に深く恥かつ謝する」。

 ストライキでの正進会の『正直な正攻法』の態度を何人も否定しないであろう。しかるに今や転じて『奇襲法』にでることを宣言している。我が国労働運動の中で、一体誰がかくのごとき決意をもっているだろうか。虚心考察すべきである。


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