先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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1920年の労働争議のまとめ(読書メモ「日本労働年鑑 第2集/1921年版」大原社研編)

2021年08月16日 08時00分48秒 | 1920年の労働運動

        

1920年の労働争議のまとめ(読書メモ「日本労働年鑑 第2集/1921年版」大原社研編)

第三編 労働争議

第一表 ストライキの件数と参加者数
      件数 参加者数    一件平均人員
1914年  50件  7,904人   158人
1915年  64件  7,852人   123人
1916年     108件  8,413人     78人
1917年     398件      57,309人     144人
1918年   417件     66,457人   159人
1919年   497件     63,137人           127人
1920年     282件   36,371人      129人

  1920年前半の戦後恐慌勃発による各会社の経済的圧迫と抑圧で前年度のスト件数497件、スト参加数6万3千人に対し、1920年は、件数282件、参加数3万6千人に約半数に減った。

第三表 ストライキ継続日数とストの原因(第四表)
 1919年度は、ストライキ継続日数が6日以上はわずかに13%であり、他の87%は即日解決か5日以内に終息していることと比べて、1920年はストが6日以上続いて闘われたのは、30%に上っている。スト参加数も1919年度6日以上のスト参加者は25%であるのに対し、1920年実に59%示している。

 ストライキの原因は、「賃金減額反対」が1918年4%、1919年は3%と少なかったのに、1920年は23%と一躍している事は経済的圧迫の激しさに注目すべきだ。

第五表 ストライキ結果別調
 1919年は、ストライキが成功し勝利したものは66%であり、1920年も63%を示している。経済的圧迫が激しい状況であるのに、争議の結果が決して悪くないのは、労働者団結の宣伝が徐々に効果をあらわし、また労働組合間の組織提携が強固となり、かつ労働者階級の経済的地位の意識が、不屈なる決定的意志をもって争議を敢行したためであろう。

(感想)
 スト件数も参加者数も前年に比べ、約半減した1920年。しかし、今の私たちの労働運動の現状から見たら信じられない程の労働者の決起の数だ。この年全国で282件、3万6千人もの労働者がストライキに立ち上がり、しかも6日以上闘われたストライキが3割に上っている。ストの勝利も6割以上だ。その上、官営八幡製鉄所の2万5千人の大ストライキにみられるように大企業や三越デパートなど有名企業でのストライキが果敢に闘われている事にあらためて驚愕している。1919年の全国での怒涛のごとくのストライキの爆発はこの年も続いている。私の理解度は、いまだに「どうして、巨万の労働者がこれほどのストライキに立ち上がったのか」のレベルだ。しかも弾圧(検挙・検束・解雇・労働法も労基法もない治安警察法下で警察、憲兵、軍隊出動)の非道さは今とは比較にならないのに。

 しかし、はっきり言えることは、労働者には敵がいくら非道な弾圧をかけてこようが、これだけの勇気も知恵も団結力も組織力もあるということ、敢然と闘い勝利する力を立派に持っているということ、そのことをこの1920年の3万6千人の先輩労働者が再び確かに教えてくれている。



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