先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

迫害につぐ迫害から、不死鳥のように立ち上がる先輩労働者—あらためて友愛会結成までを振り返る(読書メモ)

2022年05月04日 09時13分36秒 | 先輩たちのたたかい

写真上・大逆事件で死刑になった12名
写真下・数万人が押しかけた労働者大懇親会(1901年4月3日 東京・向島)

迫害につぐ迫害から、不死鳥のように立ち上がる先輩労働者—あらためて友愛会結成までを振り返る

1、友愛会結成までの前史
2、迫害につぐ迫害―1910年朝鮮併合と大逆事件
3、不死鳥のように、立ち上がり始めた労働者
4、1912年8月「友愛会」結成

参照
 「日本労働組合100年」大原社研 旬報社
「日本労働運動史年表」第一巻明治大正編 青木虹二著 新生社版
「韓国併合」(海野福寿著 岩波新書)
 二村一夫著作集「第一次大戦前後の労働運動と労使関係 ─ 1907~1928」
「日本労働組合物語 大正 大河内一男、松尾洋」筑摩書房
「友愛会の発展過程」松尾尊兊

1、友愛会結成までの前史
1870年 農民名古屋3万5千人、宇和島1万5千などこの年凶作により各地農民蜂起
    高島炭坑数百名賃下げに激昂した暴動
1871年 パリコミューン(3月~5月)
               イングランド機械工9時間労働制要求でスト勝利
    豊後日田1万人など全国各地で農民蜂起頻発
1872年 琉球国を琉球藩と設置、琉球処分始まる(450年続いた琉球王国滅亡へ)
               人身売買の禁止(娼妓解放令)
    部落解放に反対する備中農民1千余人被差別部落を襲撃、3人を殺害、放火。3人死刑。
1873年 地租改正に反対する全国農民蜂起
    北条県・福岡県等など全国各地で農民蜂起多発(徴兵令、<解放>令、小学校に反対)
    高島炭坑数百人暴動
    内務省(警察制度等治安対策)設置
1874年 佐賀の乱鎮圧
     閣議で台湾征討を決定(5月台湾上陸)
    酒田県(山形)農民村役人の不正を糾弾し蜂起、指導者100余人逮捕されるワッパ騒動
    板垣退助らの立志社
    恤救規則(前近代的救貧制度)を定める
1875年  新聞紙条例布告(政治的言論弾圧目的)
    江華島事件
    新川県(富山)富豪宅ら打ちこわしの米騒動
1876年 日朝修好条約(不平等条約で有名な日英修好通商条約1858年とそっくり)
               地租改正に反対して和歌山・茨木・三重など各地の農民数万人の大蜂起。5万7千人処分
    不平士族各地で反乱    
1877年 地租軽減の改正<竹やりでドンと突き出す2分5厘>
               西南戦争
               石川県・熊本県の小作人蜂起(この年の農民争議は49件、うち熊本県29件)
               米、ペンシルベニア州の鉄道スト・大暴動で連邦軍が労働者100名以上を殺害
1878年 英、ランカシャー紡績労働者賃下げ反対12万人スト(敗北)
    米、労働騎士団の公然化(労働者の組織化、86年には70万人参加)
    独、社会主義者鎮圧法可決、結社・集会・出版の禁止と党・労組指導者の逮捕、追放
               高島炭坑2千人以上が賃下げに反対して暴動、官憲弾圧、100余人検挙              
    近衛兵の反乱(竹橋事件)、53人死刑
1879年 日本軍400名、巡査160余名沖縄上陸首里城占拠、沖縄県を設置
              教育令布告
              徴兵令改悪
1880年 *集会条例布告
              印刷局の女性労働者2千名は「出入時の身体検査を女性とするように」要求し騒動、勝利
              高島炭坑数百名賃金不払いに抗議し暴動
    国会開設請願運動の高揚

*集会条例
 1880年4月5日集会条例布告。政治結社と政治集会に対して、事前に警察の事前届け出許可を命じ、集会には警察官の臨席、かつ集会解散権を臨席警察官に与えた(「弁士中止!」)。また屋外集会の禁止や軍人・教員・生徒の政治活動を禁止するなど戦前はこの法律が政治運動・労働運動への弾圧に絶大な力を持った。

1881年 朝鮮で日本軍陸軍少尉を軍事顧問とする
               板垣退助ら自由党結成(約2500名)
1882年 軍人勅諭発布
    群馬県会廃娼建議(娼妓廃絶の建議)に業者強い抵抗
    福島県会事件農民数千名決起、警官と衝突・大弾圧
    戒厳令制定布告
    徴発令制定
    東洋社会党3千人結党(長崎島原)、財産の平等を主張。弾圧(結社・集会の禁止)
    朝鮮壬午軍乱—反侵略民衆運動、朝鮮軍隊と数千の民衆反乱、日本公使館も襲撃、日清両軍により鎮圧
    福島事件(喜多方農民千数百人、道路工事反対で警察署を衝突・包囲、自由党員らの大検挙)
    車会党結成。人力車夫の結社を自由党員らが結成(300人)、演説会には2千余人が押し寄せる
               和歌山木挽(こびき大工)職人300人、囚人労働導入の脅威から材木商へ押しかけ、囚人賃金を職人水準まで値上げ要求
    東京大阪で「出獄人」を積極的に労働力として雇用はじめる(人足部屋の設置)
    巡査の帯剣許可
    (この年、新聞の禁止、停止処分多発。総数80件にのぼる)
1883年 マルクス没65歳
    東洋車会党員を印刷物配布で禁固1年の判決
    教室で天皇の写真を引き裂いた小学校教員稲倉儀三郎に重禁固3年の判決
    出版条例改悪(図書出版は10日前の届出の義務付け)
    大阪紡績、日本最初の深夜業開始(過酷な深夜労働が全国の紡績工場に拡大)
              三池炭鉱囚人者暴動、坑内夫46名死亡。三菱経営の高島炭坑数百名暴動7名死亡
    (三池炭坑囚人労働導入の本格化、1888年には総労働者5247人中囚人2144人、過酷な強制労働で度々の囚人暴動発生)
    女性大演説会に2千名(京都)
    東大学生200人学位授与式ボイコット・デモ、退学処分147人
    石川県能美郡農民1600人、金貸し会社に押しかけ迫る
    各地の農民地租軽減運動起こす
     ベトナム蜂起軍、ハノイ郊外で仏軍破る
    プレハーノフらロシア人亡命活動家、マルクス主義の労働解放団創設(ジュネーブ)
    ポーランドワルシャワ織物工場ストが勝利
    (この年の秋から冬、米価高騰)
1884年 徴兵反対一揆拡がる
    群馬事件(自由党員が負債農を組織し決起)
    加波山事件(自由党員16名挙兵、警察分署襲撃7人死刑)
               秩父事件、困民党結成1万人農民軍蜂起・軍隊により弾圧鎮圧、農民死刑10数名
    武相困民党結成(神奈川の自由党員)
    爆発物取締罰則制定
    官業を民間に払い下げ
               朝鮮甲申事変(日本軍京城駐屯軍を背景にした反清クーデター、失敗)
1885年 東京の学生3千人上野公園で、対清戦争開戦を叫び、非戦論の朝野新聞社を襲撃
    ロシアウラジーミル県で綿工場で大スト
    米、労働騎士団クールドの鉄道会社でスト勝利
    山梨製糸工場女工が「容姿差別」に怒りストライキ    
    *違警罪即決例制定
    大阪事件(自由党員ら武器を調達し朝鮮へ渡ろうとして139人逮捕)

*違警罪即決例制定
 1885年9月24日違警罪即決例制定。裁判によらず警察署長などが29日以内の拘留、科料の即決処分を言い渡すことを認める。1947年にようやく廃止されたが、ストライキやデモで、こうした「検束」で弾圧された人数は数知れない。

1986年 米、8時間労働制要求し35万人がスト・デモを敢行(メーデーの起源、18万人が8時間制を獲得)、シカゴのヘイマーケット事件(4人が絞首刑)。
              山梨雨宮製糸100余名の女工15時間労働時間の短縮、罰金廃止、賃下げ等で日本初と言われたストライキに決起。
    アメリカ労働総同盟結成。
1887年 警視庁、屋外集会示威運動要許可命令。
              *保安条例公布。
    山梨の製糸工場の女工、何か所もストライキ・逃亡事件頻発。

*保安条例公布
 1887年12月25日保安条例公布。秘密結社・集会を禁じ予防処分の弾圧法規。

1888年 *<高島炭坑の惨状 松岡好一>が雑誌に掲載された。
    大阪製靴工場・和歌山同工場労働者300余人ストライキ。
               滋賀県車夫賃下げに抗議し暴動、軍隊で鎮圧。

*<高島炭坑の惨状 松岡好一>が雑誌に掲載
 1888年松岡好一が現地で調査した三菱資本の納屋制度による坑夫への酷使虐待の実態を雑誌「日本人」に掲載し暴露した。大きな社会問題となった。

1889年 第二インターナショナル成立「5月1日に全世界の労働者はストライキを!」メーデーの呼びかけ。
    大阪天満紡績女工300人賃上げストライキ勝利、紡績資本側はストライキに対し「対罷工規約」(スト労働者を雇用停止処置とする)決定。
    農家凶作。
1890年 1890年恐慌。世界の各都市で国際的メーデー挙行。
    第一回総選挙(有権者は人口のわずか1%のみ)。
    集会及政社法公布。
    教育勅語発布。
    東京府下の左官・石工賃上げ要求して12日間のストライキ、勝利。東京の左官争議は90~92年まで頻発。
    大阪・岡山の教員賃金切り下げにストライキ。

1891年 高野房太郎らがサンフランシスコで「職工義友会」組織、高野はアメリカ滞在中に、アメリカ労働総同盟のサミュエル・ゴンパーズ会長にも会って教えを受け、正式にAFLの日本オルグに任命されていた(1897年日本国内でも「職工義友会」を組織)。
    田中正造、足尾銅山鉱毒問題で国会で最初の質問書提出。
    東京府下の石工1300人ストライキ、勝利。
    京都第一絹糸紡績69人、会社の横暴にストライキで抗議。小作争議が勃発。兵庫明石町4千名暴動。

1892年 東学教徒抗日運動スローガン「斥倭洋」のビラを貼りだす。
    紡績職工争奪防止規則制定。
    東京左官・レンガ工・大工等1000人以上、賃上げ要求してストライキ等で勝利。
    夕張炭鉱1千人、米・味噌の貸与、賃上げを要求してストライキ、見張り所破壊など暴動。90余人逮捕。

1893年 朝鮮、東学教徒2万人、1万人の大デモ・示威行動と集会を一か月にわたって繰り広げる。
    岐阜県約60件もの小作争議勃発。秋田銀山炭坑夫600余人ストライキ。
    日本基督教婦人矯風会結成。
    新潟宮川村小作500余人が小作地排除に怒り地主宅襲撃。鳥取で7千人の米騒動、80人が米商を襲撃。

1894年 朝鮮甲午農民戦争始まる。1月東学教徒農民軍が抗日蜂起し役所を襲撃し武器庫を破って武装。3月蜂起の布告文公布。4月農民軍4万人に。①人をむやみに殺さない②世間を助けて民を平安に③日本人を追い出し国の政治を正す④ソウルに攻め込み、権力者や貴族をすべてなくそうなどの12か条の規律を定める。4月次々と勝利を重ね全国に拡大した。「有無相資」(余力のあるものが、貧しいものを助ける)の政治的・軍事的・社会的権力を形成した東学農民革命(甲午こうご農民戦争)農村コンミューン。日本政府東学党の乱鎮圧の派兵、仁川上陸(~朝鮮各地で反日義兵蜂起96年に頂点)。
    
    日清戦争。

1895年 日本軍人とならず者が朝鮮でテロ・クーデター、閔妃殺害。日本国内で軍法会議と裁判にかけられた関係した日本軍人ら56人は、のちに全員が無罪・免訴とされた。朝鮮人民は、この屈辱の前に怒りと憎悪を持ち「国母復讐」と叫び義兵闘争に決起した。
    日本統治に反対して台湾民主国が独立宣言。
    フランス労働総同盟結成大会。

1896年 朝鮮で義兵が挙兵。朝鮮独立協会結成。
    高野岩三郎ら社会政策学会発足のちに高野房太郎も参加。
    台湾雲林地方で日本軍無差別討伐に怒り抗日大蜂起。
    門司石炭沖仕3千余人がストライキ。

1897年 *足尾銅山鉱毒とのたたかい。足尾谷中村など2千の農民、命がけの<押し出し>。
 高野房太郎労働者への労働組合結成を促す檄文<職工諸君に寄す>。高野房太郎、片山潜らの「労働組合期成会」に続き、鉄工・活版工などに組合発足や社会問題研究会などが組織される。鉄工組合は短期間で発展し、結成1年後には32支部、3,000人を組織した。最盛期には東日本を中心に42支部を有し、入会者は延べ5,400人に達している。このうち11支部は東京砲兵工廠、6支部は石川島造船所の工場、5支部は日本鉄道会社の車両修理工場や機関庫である。だが政府・資本家は激しく抑圧圧迫した。
                日本郵船スト、横浜船大工スト、大阪35工場の友禅工1200人スト。
    <労働世界>創刊主筆片山潜。
    7月普通選挙期成同盟会結成(長野松本で木下尚江・中村大八郎ら)。

*足尾銅山鉱毒とのたたかい、農民、命がけのデモ
 数千の足尾の農民が地元から東京へ<押し出し>、議事堂前等で座り込み闘争。1897年から1902年まで5回の<押し出し>大闘争、1898年第3回目1万人。1900年第4回目1万2千名、川俣で官憲との死闘逮捕者300名の<川俣事件>。1901年田中正造天皇直訴の闘い(直訴状の文章は幸徳秋水に頼んだ)。1902年第5回目は5千名。

 幸徳秋水、内村鑑三、木下尚江、川上肇、キリスト者、仏教者らが支援・声援。当時の農民運動・労働運動・全国で女工など大ストライキ頻発。内村鑑三らが組織したキリスト者・仏教徒の学生1200名の「鉱毒被災地救済団」大挙して被災地へ。古河駅から現地へ大デモ敢行。川上肇ら帰京した学生ら多数は、こぞって足尾農民支援の街頭集会・宣伝・カンパ活動を繰り広げる。キリスト教婦人東京で大支援集会。

<石川啄木の歌>
 石川啄木、盛岡中学3年生のときに田中正造の天皇直訴に感動しカンパ活動をした。「夕川に葦は枯れたり 血にまどう 民の叫びの など悲しきや」。全国の農民・学生・民権知識人に共感・支持が拡がっていることが想像できます。

 1902年の利島・川辺村村民1000名、「納税兵役拒否」村民現場大会決議。「政府が堤防を築かずば、断然納税兵役の二大義務を負わず」。あわてた行政は堤防工事に着手した。利島・川辺村民の勝利です。日露戦争の一年3ヶ月前のこと。田中正造の反戦・反軍思想も併せて考える時、この決議と闘いはなんとすごいことでしょう。1907年の足尾鉱山労働者大暴動・ストライキ、同年原大臣谷中村廃村強制立ち退き執行の暴挙。その時古河町町長「谷中村ぶち壊しの人夫に雇われるなとはいわないが、募集に応じる人には、立ち退き料を与える故に、古河町より他へ移転してもらいたい」と発表。古河町全体が足尾や田中の闘いを断固支持していることが伝わります。

1898年 朝鮮独立協会に解散命令。
    日本鉄道機関方スト勝利、日本鉄道会社の労働者は「矯正会」を組織。期成会上野で2千名デモ(大運動会)禁止される。
    鉄工組合員2千名に達する。
    工場法案発表。
    片山潜・幸徳秋水・安部磯雄らが「社会主義研究会」設立。
    大阪、三井財閥新田400人小作争議。
    期成会が「共働店(生活協同組合)」設立運動。鉄工組合ら各地で「共働店」設立。

1899年 北海道旧「旧土人保護」法公布。
    中国反清朝の20万人の義和団軍が武装蜂起。
    毎日新聞記者横山源之助《日本之下層社会》刊行。
    朝鮮で反侵略・反封建の活貧党闘争開始。
    普通選挙期成同盟結成。大阪で「大日本労働協会」結成1733名。「活版工組合」結成2000名。

1900年 社会主義協会を安部磯雄、木下尚江らが組織。
    足尾鉱毒被害農民1万2千人<押し出し>で憲兵・警官に弾圧され逮捕者100人余に達した川俣事件。
    *治安警察法制定、*行政執行法制定、労働組合運動に大きな打撃を与えた。
    鉄工組合財政悪化。
    赤穂塩田人夫3千人ストライキ。横浜伝馬船80隻の船夫ストライキ。
    門司港仲仕3千人ストライキ。東京湾船頭500人、前貸し反対、年越し金貸与要求してストライキ。
    中国義和団軍北京に入城。

*治安警察法制定
https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/cbe8f6e43a5c88bd3ebe56ca9d657abd
治安警察法(1900年)
①女性、未成年者の政治結社加入等の禁止
②結社と集会の事前届出義務
③警官の集会解散命令権
④17条「(労組加入、ストライキの遂行を目的として)他人を誘惑もしくは扇動することを禁ずる」
⑤罰「1月以上6月以下の重禁固等」

*行政執行法制定
行政執行法
治警法と同じ1900年に制定されたこの法律は、「暴行、闘争ソノ他公安ヲ害スルノ虞アル者」を検束する事を認めていた。この規定は、何等罪を犯していない者でも、警察が「公安ヲ害スルノ虞アル」と認めさえすれば、これを検束できたため、労働争議の指導者や応援者を「豚箱に泊め」て争議をつぶすのに愛用されたのである。この検束は「翌日ノ日没後ニ至ルコトヲ得ス」という制約があったが、形式的に釈放し、再検束することによって、何日間でも検束を続け得たのである。警察犯処罰令も労働運動者の身柄を拘束するのにしばしば用いられ、しかも違警罪即決令によって裁判によらず警察署長の即決で拘留や科料の言渡がおこなわれた。
 また、治警法第17条廃止と同時に暴力行為等処罰に関する法律が制定され、むしろ「争議にともなう犯罪」で検挙された件数、人員はともに急増している。26年は件数でこれまでの最高を記録し、人員で米騒動の年の1918年に次いでいる。同条の廃止はストを合法化したが、決して争議に対する取締りの緩和をもたらさなかったのである。
 さらに治安立法の体系のなかでも大きな比重をもっていたのは、言論、集会の自由を規制する諸立法である。この点でも治警法は重要で、集会に届出の義務を課し、警官がこれに「臨監」し、発言が「安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スルノ虞アリト認ムル場合」は中止を命じ、さらに集会そのものを解散させる権限を認めていたのである。
 新聞紙法や出版法も運動の発展に対する首枷となった。組合等の機関紙誌が「時事ニ関スル事項ヲ掲載スル」場合は、新聞紙法によって最高2000円、最低でも250円という高額の保証金を納めなければならなかった。「掲載ノ事項ニシテ安寧秩序ヲ紊」すと認められた時はビラ、ポスターに至るまで「発売頒布」が禁止され、差押えがおこなわれた。発禁を避けようとすれば「伏字」を用いざるを得なかった。
 こうした制約の下では、運動方針等について、公開の場で、大衆的に討議して誤りを是正することは容易でなかった。運動の経験が全体の共通財産として蓄積されず、同じ誤りが何回も繰り返されたのも無理からぬ点があった。( 二村一夫)

1901年 桂太郎内閣「韓国保護国化」掲げる。
    第一回日本労働者大懇親会、向島2万人を越える参加者で開催。
    *安部磯雄・片山潜・幸徳秋水・木下尚江らが「社会民主党」結成、すぐに禁止弾圧された。

    田中正造天皇直訴の闘い(直訴状は幸徳秋水筆)。
    関西労働期成会結成。

*「社会民主党」
 安部磯雄・片山潜・幸徳秋水らが「社会民主党」結成するもすぐに禁止弾圧された。安部、片山らは、日本最初の社会主義政党、社会民主党を結成した。同党は、その綱領に、階級制度の全廃、軍備の全廃、生産手段の公有など8カ条の「理想」と、貴族院の廃止、普通選挙の実施、治安警察法の廃止、労働組合法の制定など28カ条の当面の要求を掲げた。しかし、政府は直ちにこれに結社禁止を命令した。この党の発起人は6人であったが、注目されるのは幸徳秋水を除く全員がプロテスタントのキリスト教徒であったことである。日本鉄道会社の矯正会の中心的な活動家もクリスチャンであり、また禁酒運動に熱心な人々であった事実が知られている。日本全体ではキリスト教徒は1%を越えたことはないのに、日本の初期社会主義運動では、キリスト教徒が高い比重を占めたのである。(二村一夫)

1902年 日英同盟。
    第二回日本労働者大懇親会禁止。
    ベルギー・ゼネスト。
    北海道夕張に「大日本労働至誠会」が結成。呉海軍工廠5000人4日間大ストライキ。東京砲兵工廠ストライキ。埼玉県深谷町製糸工場、断食ストライキ。東京砲兵工廠ストライキ。埼玉県深谷町製糸工場、断食ストライキ。
    夕張炭鉱の鉱夫・永岡鶴蔵、南助松を中心に大日本労働至誠会が組織された。

1903年 京都綿ネル会社争議勝利。三菱長崎造船所立神工場900人スト。
    オランダ港湾・鉄道ゼネスト。
    内村鑑三・幸徳秋水・堺利彦らが「万朝報」で反戦論主張(のち、新聞が戦争賛成に転じたため3人は退職)。社会主義協会第一回非戦演説会開催。
    幸徳・堺らが「平民社」設立、平民新聞発行。
              江戸橋郵便局200人スト計画で10人逮捕。大阪木挽職工1千人ストライキ。京都綿ネル会社争議200人監督排斥闘争、勝利。
       三菱長崎造船所900人賃上げストライキ、勝利。
               福島入山炭鉱数十名ただ働きに怒り、ストライキ、所長宅に爆弾投げ込む。
               石川島造船所の一労働者、負傷手当不支給に怒り、社長宅に生腕を送る。

1904年
日露戦争
*日韓議定書調印、第一次日韓協約調印、*朝鮮全国各地で数千の民衆決起
幸徳秋水、堺利彦らは「非戦」「反戦」「社会主義」大演説会開催。
足尾鉱山に「大日本労働同志会」が結成。
木下尚江小説<火の柱>毎日新聞に連載。
与謝野晶子「君死に給もうこと勿れ」。
三井三池万田坑スト。
第二インター第6回大会で片山潜とプレハーノフが壇上で握手、大会は戦争反対を決議。
幸徳秋水、堺利彦の訳「共産党宣言」が平民新聞に記載、すぐに発刊中止に。幸徳秋水、堺らは起訴される。社会主義協会結社中止命令。
イタリア初の全国ゼネスト。

*朝鮮全国各地で数千の民衆決起し、電信線切断や鉄道破壊。日本軍司令官「死刑」「むち打刑」に処すとの軍律「取り締まり令」を公布。1904年7月から1906年10月にいたる2年余りの間に、軍律による処分者は、死刑35人、監禁・拘留46人、追放2人、むち打刑100人、過料74人、合計257人にのぼる。

1905年
ロシア1905年革命敗北。
治警法第5条(女性の政治結社加入、集会参加禁止)改正請願運動。
社会主義伝道行商。
5.1平民社日本最初のメーデー茶話会。
戦死者8万8千人の日露戦争の講和条約反対の日比谷焼き討ち暴動、戒厳令で検挙者2千人。
第二次日韓協約調印反対で朝鮮全土で暴動、朝鮮の外交権を取り上げ、日本の「保護国」に。駐朝軍や日本軍憲兵隊が韓国の治安警察権を奪う。伊藤博文を初の初代韓国統監に任命。
平民社解散。

門司港7千人ストライキ。栃木煙草工500人ストライキ。東京市街鉄道労働者数百名上野公園でスト謀議、会社180名解雇で弾圧。北海道高島村漁夫800人ストライキ、勝利。
南葛飾郡谷岡友禅染物工場140人ストライキ、説論され失敗。

1906年
韓国総督府開庁、伊藤博文韓国総監に就任。韓国に駐留する日本憲兵に軍事警察のほかに行政警察、司法警察権を掌握させる勅令が発布。朝鮮反日義兵闘争。
日本社会党結成。
東京市電値上げ反対闘争がデモ、暴動、電車焼き討ち、新聞社襲撃に拡大。原敬内相軍隊で鎮圧。
呉海軍工廠や東京砲兵工廠、大阪砲兵工廠で労働争議。大阪砲兵工廠争議、リーダー40人憲兵に逮捕、敗北。
「大阪活版工技工組合」結成、北海道夕張に「大日本労働至誠会」結成、足尾に同支部結成。

普通選挙連合会とデモ。

1907年  
 労働争議が勃発し、第一次世界大戦前の最高を記録した。とくに産銅額が日本第1位と第2位の足尾銅山、別子銅山で大規模な鉱夫の暴動があり、軍隊が出動してようやく鎮圧した。この足尾銅山にも一人の社会主義者が組織した労働組合が存在し、その指導のもとで賃上げ運動が発展していたのである。暴動は、この組合を潰そうとした飯場頭等による挑発行動として始まったが、挑発者の予想を超えて大規模な騒動となった。この年には鉱山をはじめ軍事工廠や造船所などを中心に、230件をこえる労働争議、130件をこえるストライキがおき、数万人の労働者が参加した。(二村一夫)

日本社会党が治安警察法により結社禁止。
在郷軍人団設立。
第三次日韓条約(韓国の内政の全権掌握)。韓国皇帝譲位の詔勅発布と朝鮮軍解散、以後朝鮮各地に反日蜂起が拡がる。伊藤博文が歩兵第二旅団を朝鮮に増派。
鉱毒被害の谷中村を強制執行で破壊。
ストライキ件数238件で第一次世界大戦前のピーク。

1908年
原内相、社会主義者取締りに関し上奏。
東洋拓殖株式会社(朝鮮植民地経営を目的とする国策会社、土地買収など)、京城に設立。

3月足尾の指導者永田鶴蔵が鉱夫組合を結成。
6月赤旗事件で大杉・堺・荒畑・山川均らが入獄。
6月原内相、社会主義者取締りに関し上奏。
8月東洋拓殖株式会社(朝鮮植民地経営を目的とする国策会社、土地買収など)、京城に設立。
9月警察犯処罰令の公布(10月には韓国、台湾でも)。
9月横浜の欧文活版職工が「欧文会」結成。

1909年
1月東京亀戸の東洋モスリン800名ストライキ。
1月東京市電値上げ反対運動。
7月*日本政府閣議で韓国併合断行方針を決定。
8月名古屋電鉄ストライキ。
9月鉄道労働者「同盟会」結成して夜間の交替就寝を要求。
10月伊藤博文射殺(安重根10年3月死刑執行)。

*閣議で韓国併合方針決定(1909年7月)
 韓国併合反対の朝鮮民衆の闘いが激しくなる。この時期韓国併合に抵抗し抗日義兵闘争に蜂起した朝鮮民衆と韓国軍隊と日本軍は激しい交戦を続けていた。朝鮮駐箚(ちゅうさつ)軍司令部編の『朝鮮暴徒討伐誌』によると1907年から併合の10年に至る4年間に交戦回数2819回にのぼり、14万人の義兵がこれに参加した。このうち1万7688人の義兵の血が山野を染めた。とくに1908年がピークをなす(「韓国併合」海野福寿著 岩波新書)。

2、迫害につぐ迫害―1910年朝鮮併合と大逆事件
 日本は朝鮮を併合し、さらに中国の東北地方—満州侵略にねらいをつけ、国内でも桂首相は「不逞の無政府主義者を一掃する」と労働運動、社会運動に対し迫害を加えた。そのもっとも非道残虐な弾圧が朝鮮併合に先立つ1910年6月の大逆事件、明治天皇暗殺を企んだという罪をでっち上げられた26名の社会主義者、無政府主義者が起訴され、翌1911年1月18日、24名に死刑判決、判決わずか一週間後の1月24日・25日に幸徳秋水、管野須賀子、新村忠雄たち12名が絞首刑に。警視庁に悪名高い特高(特別高等課)を設置したのもこの年。文字通り支配者による社会主義者や労働運動家に対する「迫害につぐ迫害」の冬の時代。

大逆事件 新村兄弟<禮誉救民忠雄居士><賢誉至徳善雄居士>のお墓https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/4d9a0d0c5ae9d4aa74758435091fdd7e

2月京都電鉄280人ストライキ(治安警察法違反で11人有罪判決)
2月大阪友禅染物職工2千人ストライキ敗北(大阪の同友禅工は1908年から15年までの間に17回ものストを記録している)
6月大逆事件
7月浦賀船渠争議1500人ストライキ
8月朝鮮併合
8月石川啄木「時代閉塞の現状」執筆
10月フランス鉄道ゼネスト
12月売文社設立(堺利彦、大杉栄、荒畑寒村、山川均ら)

3、不死鳥のように、立ち上がり始めた労働者
 文字通り冬の時代、「だが、すでに労働者は、不死鳥のように、立ち上がり始めていた。明治44年秋ごろから労働争議が昂揚し始めたのである」(「日本労働組合物語 明治」)。争議件数は、1911年争議件数22件、2100人、1912年49件、5736人と激増。

1911年
中国では孫文の辛亥革命が起き、翌1912年中華民国臨時政府が成立した。

3月*工場法発布。
  鐘ヶ淵紡績岡山県花畑分工場女工900名ストライキ。
6月「青鞜」(平塚らいてう、15年から編集は伊藤野枝)創刊。
7月廃娼運動の廓清会結成。
8月警視庁「特高課」設置。銚子のヤマサ・ヒゲタ両社の醤油製造労働者500人ストライキ。
9月東京京橋の教文館印刷所の130人、東京市営河川船夫180人、横浜運搬株式会社人夫600人労働者らが賃上げを要求してストライキ。
10月中国では孫文の辛亥革命。築地活版所の印刷工200人が同盟の血判を取り決起。
12月*東京市電6000人大ストライキ

その他普選・護憲運動の盛り上がり

*工場法発布
 この頃の紡績工場の女工や幼年労働者は12時間・13時間・14時間などの長時間労働や深夜労働と寄宿舎に押し込められるという過酷劣悪な工場労働であつた。政府は15名以上の企業に対して、12歳未満の労働の禁止、女子および15歳未満の最長就業時間を13時間、深夜業の禁止、労災扶助制度などはじめての労働者保護法である「工場法」を1911年に成立させたが、織物業や資本家階級の猛反対により様々な抜け道を付けられ、その上施行は1916年と5年間も延期された。

*東京市電の6000人大ストライキ
 1911年大晦日から翌12年元旦にかけての東京市電の6000人大ストライキ。三田車庫1000余名から始まったストライキは、立て続けに上野車坂、青山、浅草、最後には本所車庫決起と拡大し、ついに東京市電全線がストップ。賃上げを獲得して勝利したが多数の労働者が一斉に検挙され治安警察法違反で64名が起訴された。このストライキでは片山潜ら社会主義者3人も検挙され、片山らは重禁固5ヵ月等の刑をくだされた。

「『萬朝報』によると市民はみな交通の不便をしのんで罷業者に同情している。・・・『国民新聞』では、市民がみな罷業者の暴状に憤慨していることになっている。・・・国民が、団結すれば勝つということ、多数は力なりということを知るのは、オオルド・ニッポンの眼からはむろん危険きわまることに見えるに違いない。」(石川啄木)

4、1912年8月「友愛会」結成
1912年
中国中華民国臨時政府成立、孫文臨時大総統就任。

東京市電ストライキにうながされた労働者は1912年全国各地で決起した。
3月呉海軍工廠3万人の大ストライキ、大阪府下の友禅商工2000人、三重紡績津分工場2000人のストライキ。
4月日本郵船、大阪商船、東洋汽船のストライキ。
7月兵庫県灘五郷の樽職人1000人、東京大塚製靴工場300人、横浜水道局50人、平塚のイギリス系アームストロング社204人のストライキ。

8月*友愛会結成
*友愛会15名で結成
鈴木文治と畳職工、電気工、大工、機械工、塗物職、牛乳配達夫、畳職、散水夫など15人のキリスト者。クリスチャンであった現職の巡査板倉定四郎も参加した(大河内一男)。



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